ゲッセマネの祈り(1978)

1978年3月19日 棕櫚の主日、岩国教会牧師退任の一週間前
岩国教会週報「先週説教より」
マルコ 14:32-42

(岩国教会牧師13年目、健作さん44歳)

みこころのままに(マルコ 14:36)

 夜はふけわたりぬ
 ゲッセマネの園に
 なやめるイエス君
 ひとり祈りたもう

 讃美歌133番の一節には、二つの事柄が含まれている。第一"なやめるイエス"、第二"ひとり祈る"。この二つにゲッセマネの物語は要約される。これほどまでに悩みの姿で記されているイエス像は他にない。33歳、わざの半ば。終局をみこころにゆだねる受難の映像は心に焼き付いて離れない。眠る弟子。弱き肉体。無理解につつまれて祈る姿は、神が人と共にいましたもう存在形式そのものである。

 理解してもらえない関係に耐えつつ祈る事は、神が共にいますことへの思いをはせる大切な機会でもある。

(1978年3月12日 岩国教会礼拝説教 岩井健作)


(報告欄より)
 共同の祈り「受難週を憶えて」

 礼拝後、教会全体協議会 後任牧師銓衡委員会の経過報告会。その後臨時長老会。次週礼拝後、岩井牧師教会全体の送別会。

 NCC岩国兵士センター現地運営委員会 20日(月)
 教区常任常置委員会 23日(木)


BOX-1. 岩国教会所蔵史料

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