1978年3月12日 岩国教会週報「先週説教より」
マルコ 14:1-9、岩国教会牧師退任の二週間前
(岩国教会牧師13年目、健作さん44歳)
福音が宣べ伝えられる所では、この女のしたこ事も記念として語られるであろう。(マルコ 14:9)
福音書の受難物語(マルコ 14章・15章他)を心静かに読む時を持つことは、受難節の黙想にとって欠かせない。そして、その受難物語の初めに、ナルドの香油をイエスに注いだ一人の婦人の物語が置かれている。この女(ひと)について、マルコは"一人の女"としか伝えていない。ルカは「その町で罪の女であったもの」と言っている。少なくともイエスの十字架の死に至る生涯を"受難の意味の重要性"という点から示しているのは、弟子たちよりもこの女であったという点に注目したい。
人の世の罪に染まり、ただゆるしを受ける以外に生きようのない人間が、他の人にはわかってもらえないイエスの死に、「葬りの用意」を意味する塗油でかかわっているところに物語の美しさがある。そしてこの女も自分のしていることを他の人には分かってもらえなかった。香油をムダにすると憤った人々の咎めに満ちたまなざしにさらされている。そのまなざしは世の分別を含んでいたであろう。だが、彼女はそれでよかった。そこには他の人に分かってもらいたいという人間の甘えを超えることのできる世界が開けている。
この女の立場を教会になぞらえている聖書の解説者がいる。教会はこの世の分別・常識・合理性・策略の真っ只中にいる。しかしイエスへの奉仕が真剣に祈り求められ、なされている限り、それは星のような輝き(ピリピ 2:15)を放つであろう。そこをはずして福音が宣べ伝えられることもない。
(1978年3月5日 岩国教会礼拝説教 岩井健作)
(報告欄より)
共同の祈り「学校を卒業する教会員の子弟のため」「幼稚園卒園者のため」
山口東分区牧師会 13日(月)
岩国キリスト者平和の会 16日(木)岩井牧師送別会
後任牧師銓衡委員会 17日(金)
幼稚園卒園式 17日(金)卒園生59名
長老会協議より 岩井牧師教会全体の送別会 26日(日)


