連帯(1977)

1977年3月29日 岩国教会週報「先週説教より」
イザヤ 53:1-12

(岩国教会牧師12年目、健作さん43歳)

その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ(イザヤ 53:5)

 旧約イザヤ書40章〜55章を第二イザヤという。イスラエルのバビロン捕囚がバビロニアを倒した新興ペルシア王国のクロスによって終わりを告げられ、故国への帰還を許され解放される。その解放期に活躍した無名の預言者が"第二イザヤ"である。が、その救いは直接的にクロスによる解放を肯定してはいない。確かに捕囚の民は解放されるが、それは政治的であり、宗教的ではない。他の人の罪を負い、執りなしをし、口を開いて相手を告発することなく、苦難を負う僕(しもべ)によって担われているような内面の解放とは縁遠いものであった。日本の戦後が、政治的解放によってもたらされた民主主義を持っているのに、苦難を負う者から見れば、それがいかに空しいものであったかに似ている。連帯というとき、こちらからつながっているという形だけのつながりがいかに空しいかに似ている。金芝河(キム・ジハ)たちの解放のために本気で運動している、ある哲学者が自分を省み「彼らのために害がなかったことを祈るのみである。同時に、もし彼らのために私たちが何もしなかったら、私たちはどうなるかという問題がある」といっている。苦難の僕(しもべ)が不義な者のために苦しみを担うという思想は、イエスの苦悩と十字架の前に、もう一度私たちをうなだれさせる。

(1977年3月22日説教 岩井健作)


(報告欄より)
 共同の祈り「教会学校教師のために」
 教団宣教師協議会、3月29日〜31日、於静岡県御殿場。岩井牧師、教区代表で出席。


BOX-1. 岩国教会所蔵史料

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