生きることの意味(1975)

1975年4月13日 岩国教会週報「先週説教より」

(岩国教会牧師11年、健作さん41歳)

ペテロは主であると聞いて、裸になっていたため、上着をまとって海にとびこんだ。(ヨハネ 21:7)

 「漁に行くのだ」といって夜の湖に出かけたペテロは、獲物なしで朝を迎えた。生活の重さ、政治の悪さは、この岸辺で最初イエスと出会った時と変わってはいなかった。ただ、あの時は、この人ならばと望みを託した彼自身の持っていた確かさといったものがあった。しかし、いま彼にはそれがない。死にいたるまでイエスに従い得なかった弱い惨めな自分が代わりにあった。しかもそれだけではなく強烈な昼間の太陽の余熱が大地全体を包んでいるように、彼に注がれたイエスのまなざしと愛とが彼にはあった。それだけが確かなものとして。

 高史明(コ・サミョン)著『生きることの意味:ある少年の生いたち』(ちくま少年図書館24、筑摩書房 1974)を読んだ。阪井先生がこの子の一番弱い勇気の欠けたところ、つまり悪いことを他人のせいにして自分を堅く閉ざしてしまう心に厳しく迫り、遂に彼の心を開かせたやさしさが感動的に記されている。その後の生の暗さにもかかわらず、彼はこう言っている。「先生が身をもって教えてくれたやさしさとは、一度それを教わった者のからだからは、決して消え去ることのない力だともいえるでしょう」。この本は戦時中の在日朝鮮人の生いたちの記録という状況の暗さにもかかわらず、やさしさと愛が全体をつつんでいる。

 身をもって教えられた愛とやさしさは消えさることはない。十字架の死にきわまったイエスのふるまいにこのことを憶え、ペテロは衝動のように主の愛に立ち帰った。立ち帰りをうながす消えないイエスの愛の確かさが生きる意味を支える。

(岩井健作)


(報告欄より)
 岩国キリスト者平和の会 17日(木)午後7時半 於岩国教会
 テキスト 村上重良『慰霊と招魂:靖国の思想』(岩波新書 1974)


BOX-1. 岩国教会所蔵史料

error: Content is protected !!