1995.10.1、神戸教会週報、聖霊降臨節第18主日・世界聖餐日
(神戸教会牧師18年目、牧会37年、健作さん62歳)
(この日の礼拝説教は)詩編 10:8-18、説教題「ゆだねる」
(1995年)9月25日(月)7時〜9時、御影の兵庫教区クリスチャン・センターで「震災連続セミナー」の第1回集会が開催された。
テーマは「地震・被災者・教会」。
三人の方たちの「体験報告と発題」。
向井金蔵氏(神戸愛生伝道所牧師)
10月で75歳。昨年8月から病気だった。
借家半壊。
障害者施設・愛生園に障害者24名と共に避難する。
84日目に市の仮設住宅へ。室内は37℃。
ヘルペスにかかり回復に20日を要した。
わずかの年金生活。公の支援金は17万円のみ。
選択肢のないこと・受け身ということ、が気力を失わせる。
「立ち上がり」には「見込み」が大事。
行政の「あてがい」は「人間としての扱いではない」事を実感。
「コープこうべ」の標語に「一人は万人のために、万人は一人のために」とあるが、行政は「万人」代表となるべきだ。この被災体験は大きい。
金得三氏(教団ボランティアセンター専従、元在日大韓 西宮教会牧師)
70年余の人生で、在日として差別を受け、足蹴にされてきた。
しかし、地震は人生で一番大きな経験だ。
全壊に近い家屋でがんばった。
菅澤牧師が何度も訪ねてくれた。こんな暖かい人を知らない。
生きる希望が出た。
勧められ市の仮設住宅に移った。
裸にされた体験を持って働きたいと、促しを受けてボランティアセンター専従となった。
西宮で、1万2千人の仮設入居者のうち456人を訪問した。
人間不信に陥っている人と、止めどなくしゃべる人との二通りがある。
医師と共に歩くと、人々の笑顔が違う。
仮設住宅での要望は逐一行政に取り次いだ。実現したものもある。
無力さを覚えながらも、被災した者にしか分からない気持ちの共感で励んでいる。
田中健吾氏(兵庫県被災者連絡会代表・下中島公園避難所自治会会長)
全壊。
行き所なし。
車で1ヶ月過ごした。
自衛隊テントに入ったのが2月11日。
須磨区役所が目の前なのに、個人は相手にされない。
11世帯48名で自治会を作った。
5月18日、初めて公認避難所の形をとり、弁当が来た。
横の繋がりを大事にするため、連絡会事務局を引き受け、がんばっている。
8月4日、市役所前にテントを張り、被災者の声を率直に「何でやんねー」と市と交渉している。
市当局は仮設は充分だと言うが、現実はそうではない(具体的数字あり)。
座り込みを続けているが、理解してほしい。
次回「第2回 震災連続セミナー」は10月9日開催。神田裕神父(カトリック鷹取教会・神戸市長田区)。
(1995年10月1日 神戸教会週報 岩井健作)