『合同とらえなおし』は運動であるということ ー 運動としての宣教 ②(2004 沖縄・宣教学 ㉜)

2004.4.19 於関西神学塾

(日本基督教団教師、前月に川和教会代務牧師退任、70歳)

1.教団における『合同とらえなおし』の現在

1−1.第33回 日本基督教団総会での「日本基督教団と沖縄キリスト教団との合同とらえなおし」(以下「合同とらえなおし」)に関する関連議案(特に沖縄教区提出で継続審議中であった「名称変更」議案)を審議未了廃案の扱いにしたことは、議事を司った山北宣久議長及びその議事運営を議員構成の段階から政治的意図(第32回は継続でも、第33回では「否決の決着」をつける)をもってこれを「是」としてきた総会議員多数派の尊大極まりない「教団体質」の表れであると、私は断じる。

「合同とらえなおし」を新たに論じるのであるならば、まずその「非」をどのように克服しなければならないかを、この課題の原初に立ち返って顧みなければならない。それは政治的・「神学的」に多数主流派の行動様式とその思考を批判するだけで克服されるものではない。この課題を、「沖縄」総体を背景に抱きながら「問題提起」をしてきた者達の「問い」と「叫び」として受け止めながら、十全に自分の教会的場で熟成かつ展開出来ていない、私及び私たちの反省と責任を深く自覚させられるものである。

1−2.当面の課題として、自分の現場で行動を起こすことの一つとして「かながわ・明日の教団を考える会」(代表・北村慈郎)で相談し、さしずめ神奈川教区総会(2004/2/21)に議案第9号『沖縄教区との関係の回復を図る件』(資料1)を建議、137名のうち83名の賛成を得て可決された(岩井は草案作成に参加)。

 その討論のうち政治的に議案の門前払い(前回の沖縄教区常置委員会声明支持決議否決を一総会期の一事不再議を理由に)しようとする悪質なものから更に、問題を自分の問題(沖縄と本土の関係における『本土』の問題)にしないで、「沖縄問題」として対象化する意識が続出した。

(M氏発言「沖縄教区は今、四分五裂だ。回復といったってどこと交渉するのか」、W氏「こちらが踏んづけた結果、分裂を起こしているのだ。こちらの責任だとの認識がなくて、したり顔の発言をするとは何事だ」との反論・批判がなされた)

 ここに見られるように、問題把握の非当事者性(自分の問題になっていない事)は「合同のとらえなおし」の最初から拭いがたく存在している。ここをどのように乗り越えるかが、この問題の根本にある。

2−1.第33回 教団総会以後の沖縄教区常置委員会声明の「教団と距離をおく」という判断とその後の成り行き。

 教団三役の沖縄教区訪問(2004年4月5日)を山里沖縄教区議長が受け入れることによって事態は事柄を本来に戻そうとする沖縄教区の思惑とは逆の方向に、政治的に沖縄教区(沖縄の独自性)を一層支配、本土一元化へと包含する方向に向かうことになったと『教団三役との面談』の22ページにわたる記録を読み、判断せざるを得ない。私は山里氏は不用意に会うべきではなかったと思っている(その事は同氏に手紙を書いた。4/6)。訪問そのものが、極めて政治的であり、第33回総会の暴挙に対する、一言の「謝罪」もないままに、また、かの事態に対する責任の自覚もないままに、自分たち(本土側)のあの事態への見解も施策もないまま、現在の教団執行部に都合よく事を運ぶための「情報把握」の訪問は極めて悪質な政治行動といわねばならないであろう。沖縄側は「距離をおく」という政治的スタンスを破って、非対等性を覚悟の上で、なお言葉による対話で、問題の自覚を教団三役に訴えた。その努力、誠意には、「被差別者」側のやむを得ざる状況性(つっぱねていても解決にならない)が滲んでいる。以下、記録に基いて、検証したい。

2−2.記録の随所にでてくる山北氏の発言から伺われる意識(沖縄教区と擦れ違う点)

「私たちは沖縄の現状というものに関心が強い」(2-20)
「『廃案』という……非常に言い訳めいたことですけど……お互いのことになって前進する縁(よすが)とならない」(4)
「沖縄教区は、教団なんですよね」(5)
「審議未了が……『琉球処分』……に重なるとか……理解できない」(7)
「『沖縄問題』はね。……どういう風に共有していくかと……」(13)
「[山里氏への電話]『聖ヶ丘の山北です』(「我々が言ってきたようにアリバイを造るため……虚しい気がする」山里)(15)
「山北『私はよかった』」(19)
「夏芽さんのほうで『どっちみちまた、政治的に利用するんだろう』という言葉に対して『そんなことありません。まあ見ていて下さい……どれだけ根にあるものに近付けるか』山北」(20)。

 全体の印象として「教団」側が徹底した「政治性」を持っているのであるから、その中で「何を取るか(少なくとも第34回における、議長側からの議案提出の約束など)」について、したたかであって、と願わざるを得ない。我々としては、そこを見据えた「議案」の作成をすべきだと思った。

3.運動としての「合同とらえなおし」の諸側面

3−1.「罪責」/「歴史認識」の問題。運動の主体の問題

 日本国家の在り方は、歴史の認識を重要視しない(ドイツと異なる)。例えば、日本国憲法は、例え米国主導の制定であったにしても、歴史の成果である、民主・人権・政教分離・平和を過去の歴史から学び取っている。

 特に前文と9条の平和条項は、太平洋戦争の惨禍を繰り返さない事の決意の表明でもあった。それはまた、日本の近代が「富国強兵」を機軸にして進んできたことの反省であった。戦争責任の自覚が暗に秘められている。この中で「沖縄」と「本土」との関係史(その他、アジアに対する植民地支配)における「国家(本土側)」の罪責認識は重要であるが、このような歴史認識はない。だからこそ、日本キリスト教団では、その轍を踏まず教団史/沖縄の教会との関係史においての歴史認識が大事である。

 第4回教団総会の沖縄支教区の「切り捨て・放置」、その後の「沖縄(教団、後教区)」との関係(1969年「日本基督教団と沖縄キリスト教団との合同」とその「捉えなおし」作業)における非対等性・非当事者性は何故起きたか。近代国家日本の成立の理念としての「富国強兵・和魂(天皇制)洋才(無思想性)」に対峙する「福音受容(個人の救いの完結性)」「戦後キリスト教宣教」への批判的歴史認識の希薄さはなにゆえか。「戦争責任告白」の役割の位置付けと「教団信仰告白」の再検討の学習のなさ。宣教の課題としての個別状況からの問い掛け(性差別、障害者差別、部落差別、核、など)と「沖縄」との関連への学び。

3−2.「基地」/「状況への闘い」の問題。運動の主題の問題

 日米安保条約体制が日本国憲法体制を現実的(有事諸法の制定により)に凌駕する事態の中での、沖縄における「基地闘争」「反戦地主闘争」の視点の再認識。神奈川(沖縄に次ぐ米軍基地地帯)等の闘いを沖縄との繋がりとする視点。現状況下(パレスチナ、アフガニスタン、イラクでのアメリカの軍事強硬策・経済グロ−バリズム支配)での反戦・反基地・反核の運動を視野にもった日常の教会の宣教活動。

3−3.「交流」/「喜び、希望」の問題。運動の展開・組織化の問題

「『合同』とらえなおし」は、「教会」「隣人」という理念としての共同性がまず指向(教会論、社会倫理)され、それに向けて復帰・回復という面がないではないが、このテーマにより、足下からクローバルな「交わり」への展望が深まり進展することに射程がある。

 教団(常議委員会、宣教委員会、社会委員会など)の「沖縄」ヘの関わりの現状認識はかなり閉塞的な見通し。しかし教区(神奈川、及び他教区)の「沖縄」への関わりの点検、各個教会の関わりの実情、有志グループの関わりの情報交換、個人の関わりの情報などはその閉塞性に息を吹き込む要素をもつ。今具体的に、そう無理をしないで何ができるのか。方向としては、教団教区の公的組織によるものと、信徒レベルの流動的動きとの連携が計られるのが大切ではないか。さしずめ情報を。当面諸教区有志で共有してゆけるものはないか。秋の教団総会にどのような「議案」が提出できるか、提出の方法、可決を得られるまでの働きかけ(教区・議員)。議案の内容を教団諸教会のどのレベルで共有できるのか、総会議員構成への認識などなど。運動体として可能な事は何か。教会内組織(社会部)− 教区組織(社会部、沖縄交流委員会、などなど)。教区間の連帯。既存組織で動ける部分と動けない部分とかある。利点、既存組織には予算枠がある。教団組織全般に広い伝達網が持てる。組織内の役割と有志の組織(ネットワーク)を重ね合わせた運動が大事。神奈川の場合、自発的運動(例えば、鎌倉恩寵教会を会場に月一回開催している「沖縄を学ぶ会」[世話人代表・吉田暁美、名簿をもち学習と交流が続けられている。13年間続いている)は、各個教会を超えた継続した活動である。「合同とらえなおし」は、組織活動としては、既存制度組織、有志自発組織の両面で動く必要があるであろう。

4.第34回教団総会議案(私・試案)

「『合同とらえなおし』を引き続き日本基督教団の課題とする件」
日本基督教団は1969年「沖縄キリスト教団」と『合同に関する議定書』をかわし、沖縄キリスト教団は日本基督教団 沖縄教区となった。さらに、1978年、第20回教団総会において「両教団が合同した意味をもう一度とらえなおし、その合同を真に実質あるものとして行く努力を継続する」事を可決した(議案54号)。その上、1984年、第23回総会において、両教団の「合同とらえなおしと実質化の推進」(議案31号修正案)を可決した。

 以来その作業を続けてきたが、2002年、第33回総会においては「名称変更」(沖縄教区提出)など、その関連議案を審議未了廃案とした。現時点で「合同とらえなおし」の課題が内在的には教団の課題となっているものの、総会の意志としては、中断したままになっているので、ここにこの課題に取り組む事を改めて明らかにする。

提案理由

 日本基督教団は1941年、当時の宗教団体法により「30余派の福音主義教会」等が統合され成立した。その成立を「くすしき摂理のもと御霊のたもう一致によって」と教憲前文は規定した。しかし、その成立の歴史的経過について「わが国の政府は、そのころ戦争遂行の必要から、諸宗教団体に統合と戦争への協力を、国策として要請いたしました。……この政府の要請を契機として教会合同にふみきり、ここに教団が成立しました」(「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」1967年)との歴史認識と戦争協力の「罪責」を後に表明した。

 教団成立時において沖縄の福音主義5教派は、九州教区沖縄支教区として統合されたが、教団は1946年第4回総会の教規改正(第4章64条)で、当時沖縄は米国の占領下にあるという理由で沖縄支教区を放置抹消した。沖縄の福音主義諸教会は曲折を経て「沖縄キリスト教団」として独自の歩みをたどった。

 そのような経緯のなかで、結果的には同教団と「合併吸収」に等しい「合同」を行った事を「とらえなおす」作業は日本基督教団の合同教会としての形成にとって欠くことの出来ない営みである。作業そのものへは多様な意見がある。しかし、作業そのものの中断は、合同教会の形成に禍根を残すことになる。この課題が教団の合同教会形成に取っておろそかにできないものである事を提案し、その課題への作業の再開をする。

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