1974年9月22日 岩国教会週報
「先週説教より」第一コリント4:1-13
(岩国教会牧師9年目、健作さん41歳)
わたしをさばくかたは、主である(コリント第一4:4)
コリント第一の手紙には、パウロがコリント教会の人たちのあり方を叱責した中に「高ぶっている」という指摘があります(第一コリント 4:6、4:18-19、5:2)。「高ぶる」の語句は「知識は人を誇らせ、愛は人の徳を高める」(8:1)と「誇る」とも訳され、知識に影のように寄り添うものとして用いられています。「愛は誇らない」(13:4)とも繰り返し用いられています。
私たちは、ある事柄に対して、自分の立場や見解や主張を、自分では十分に筋を通して、合理的にまた完結的に説明することが出来たと思うことがあります。つまり、言われている限りのことでは「そうです」と認めざるを得ないのです。それでいて、そこに「高ぶり」が付きまとうというのが、パウロの指摘です。「高ぶり」からの自由は、他者への愛に拠ります。しかし、そこには「わたしをさばくかたは、主である」(4:4)という、自分と主との関係が厳しく成り立っておらねばならないでしょう。
「義とされること」(ロマ 3:22)への求めを絶えず深めていく信仰生活を送りたいと思います。
(1974年9月15日 岩国教会 岩井健作)


