「学びの会」終わりの言葉(2003 家族)

2003.7.27 執筆、「信仰と家族・信仰の継承」をテーマにした学びの会

(川和教会代務牧師、健作さん69歳)

 会に参加していない者が終わりの言葉を述べるのは、大変冒険ですが、S藤さんの思いに応えて述べさせて戴きます。

「信仰と家族・信仰の継承」をテーマにして、きっと、お互いの交わりが与えられたことと信じています。少しでも自分のことを話すことができた人、聞き手になることで新しい発見ができた人。共感できる体験、違いを認識したことなど、この会への関わりは様々でしょうが、何か「得られたもの」「与えられたもの」を温めて、感謝をもって散会してくださることをお願い致します。

 このことは「学びの会」への反省・評価・批判的視点を含むことを妨げません。それを含めての教会の交わりへの次へのステップになることを信じています。

 さて、家族のことは、私たちの一番身近な事、日常の生活に関わる事ですから、よそ事のように話してもよそよそしい感じがしますし、かと言って直接自分をさらけ出すことにもなりますから、なかなか話しにくいところがあります。

 教会での話し合いの共通の基盤は、ともに礼拝を守り、信仰を深め、お互いが「恵み」にあずかることを求めている、旅人としての同行者であることでしょう。

 そこでは、それぞれが与えられている、家族経験の豊かさ・失敗・多様さのそれぞれの局面が、一つ一つ意味を与えられていて、それが教会という場で分かちあいを与えられることで、一層その意味の輝きが、発揮されるということではないでしょうか。

 朝のNHKドラマ「こころ」は家族がテーマですが、死別・生別に関わる多様さが出てきます。さらに単身者/シングルマザー/セクシュアル・マイノリティーの家族の問題など、現代の射程を忘れてはなりますまい。

 特に失敗の経験というものは大事です。

 家族のことを語る時、誰しもが、家族のつながりの中での痛みを持っています。

 家族の負担・犠牲・あがない・忍耐などによって自分の存在があり、また逆に自分が知らないうちにその役割を担っていることがあります。

 そのことは、家族のなかの信仰を語る場合に、深い意義があるでしょう。

 主イエスは、私たちに先立って私たちの家族の中に立ち給うということです。

「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」(ヨハネ 1:14、新共同訳)

 は、ここでも真理です。

 家族という何がしかの「負担・犠牲・あがない・忍耐」がなくては成り立たない「わたしたちの間」にイエスが立ち給うことは、福音が形を成していくことにとって、とても大切なことです。

 そこを今一度、心に留め、今日の会を終わって戴ければ、大きな喜びです。