この弱きものこそ(1974)

1974年2月3日 岩国教会週報
「先週説教より」マタイ5:13-16

(岩国教会牧師8年目、健作さん40歳)

あなたがたは、地の塩である。(マタイ5:13)

 「こんにちは、みなさん!ぼくは筋ジストロフィー患者です」と彼、石川正一君は自己紹介をする。あと数年の生しか残されていない彼が書いた本『たとえぼくに明日はなくとも:車椅子の上の17才の青春』(石川正一、立風書房 1973年7月)を読んだ者は、彼の真剣に生きる姿勢に打たれ、心に触れるものを憶える。死に直面し、その不条理を平和的に受容し、孤独を超えて、多くの人と深い心の交わりをもつ出会いの豊かさと明るさの背後に彼の信仰が閃いている。朽ちゆく身体、限られた時間の中にあって、弱いと普通思われている者が、その弱さにおいて召され、人々に仕えている姿をみる。

 マタイは、地の塩について語るとき、彼自身の教会に対して鋭く批判的に語っている。世との関わりの中でこそ、弟子であり信仰者であるように召されていることを忘れている在り方に対して厳しく語る。召された場で機能を持たない弟子に対して、マタイは「塩がバカになる(効き目がなくなる)」("もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか"口語訳 5:13)と言って、彼らが一見、もっともらしい見識者であっても、バカという語で批判する。この批判を読み取らねばならない。「地」や「世」は、「塩や光」を必要とする「場」であることだけは分かっている。召されて生きる者が真剣に取り組む中で、その広がりと深さに目が開かれることを祈り求める以外にない。弱い者は、弱い者なりにまた「地の塩」として召されている。

(1974年1月27日 岩国教会 岩井健作)


BOX-1. 岩国教会所蔵史料

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