関わりの豊かさ(1990 石井幼稚園)

「石井幼稚園・石井伝道所だより 第42号」1990年12月 クリスマス号 所収

(神戸教会牧師・石井幼稚園代表役員 57歳)

人のいのちは、持ち物にはよらない。 ルカ 12:16


 教会の礼拝に出ている青年が「ぼく結婚式をして欲しいんです」と言う。傍にいた、かつての幼稚園の受け持ちの先生が「なんや、Mちゃんじゃあないの、大きくなったわねー」ということで、結婚のためのカウンセリングを始めた。

 神戸教会とは。教会は礼拝をする人々の共同体、ホテルのキリスト教式結婚とは自ずと異なるところがある筈、それは何だろうか。家庭とは、等々学んでいくうちに、話は住居のこと、共働きのことなどに及ぶ。

「ところでいま残業は何時間?」と聞いてみたら月100時間は越えるという。ふと『豊かさとは何か』(暉峻淑子(てるおか・いつこ)、岩波新書 1989)の記事を思い起こした。

「残業が10時間を越えると育児と子供との遊びがなくなり、20時間を越えると趣味や読書がなくなり、50時間を越えると『夫婦の会話』もなくなり、夫婦の会話の次は『テレビを見る』がなくなる」(p.138)という。

 これは大変だと思った。少しでもそれに耐えて、いやそれを逆境的テコとしてでも、精神的に豊かな夫婦関係を作っていくにはどうしたら良いのか。色々と考えさせられている。

 日本は表面上豊かだと言われるが、労働時間の長さ、住宅の貧しさ、削減される社会保障、自然環境の破壊、人々の意識の画一化、偏差値教育などを考えると、根本的にどこか尺度が狂っている。

 人間と人間の関わり、人間と自然の関わりを豊かにしていく創造力や想像力はどうすれば豊かになるのだろうか。戦わなくてはならない課題はいっぱいある。

 朝、門に立っていたら、一人の子が「園長先生、これおみやげ」と言って、紅葉した一枚のすずかけの葉を手のひらに入れてくれた。

 季節を映し出して茶と黄と緑の入り混じった色合いは、名画のマチエールにも似て美しかった。そして、そこには関わりの豊かさがあった。大人が教えるのではなく、子どもの心にあるものを受けとめるところに豊かさのあることを知らされた。幼な子を祝福したイエスの心を思わしめられた。

「人のいのちは、持ち物にはよらないのである」(ルカ 12:16)。こういう言葉が身につく歩みをして、各人の人生を全うしたい。