母子像のイエス

於神戸教会 2016年11月13日の週報の説教欄(説教要旨)

わたしはこの目であなたの救いを見た
ルカ福音書 2章25節―32節

 キリスト教はイエスを通して、神を信じる宗教です。だからイエス像は大事です。「馬槽のイエス」「ナザレのイエス」「十字架のイエス」「ピエタ」「復活のイエス」など、様々なイエス像です。

 今日のルカ2章のテキストはマリヤが幼子イエスを抱いている「母子像のイエス」を暗示しています。今日は礼拝の中で幼児祝福式があります。私には沢山の「母子像」が神から遣わされている思いがします。アメリカのメアリー・カサット(1884~1926)は母子像の画家です。今京都国立近代美術館で「カサット展」(12 月4日まで)が開かれています。日本でも画家西坂修 (1911~1999)の「エジプトへの逃避」の「聖母子像」がよく知られています。
古くはイタリアの中世の画家ジョット(1267~1337)、近世ではラファエル、アングルの「聖母子像」が有名です。自分の母の「母子像」を想像してみて下さい。私には賀川豊彦に招かれ農村開拓自給伝道に携わった父に寄り添って、乳児共々3人の子どもを抱えて、ひたすら伝道に同伴する母の姿が思い浮かびます。

 母子像には能動的な「母」の姿、受動的な「子」の存在、そして関係存在である人間そのものの姿があります。実はこれは「キリスト教信仰」の象徴でもあります。「父なる神」(能動)「子なる神」(受動)「聖霊なる神」(関係) という信仰告白です。今日の幼児祝福の礼拝は、幼な子だけが祝福されるのではないのです。お子さんを抱く母(両親)そして今日の礼拝参加者皆が祝福されているのです。イエスを抱いたシメオンは老人でした。29節以下は 「シメオンの賛歌」です。幼子イエスを抱く事を通して彼が「安らかに」最後を迎えることが記されています。私は今83歳です。神戸教会の幼児祝福 の礼拝に奉仕させて戴き、この「安らかに」という言葉がことさらに身に沁みます。一つの詩を紹介します。

「はじめて母になった人も
あかちゃんを抱くのはうまい
やすやすと
上手に抱く
たくみにあやす
いくら練習をしても
父親ではうまくいかない
母と子のつながり
その結びつきに
ボクは頭をさげる」
(サトウハチロー詩・いわさきちひろ絵『あかちゃん』1989 講談社)。

 神戸教会員であった小磯良平画伯は「聖書の挿絵」三十二葉を画きました。その中の「海を二つにわける」「ヨナ海に投げ入れられる」「エルサレムに迎えられる」「神殿から商人を追い出す」「十字架」等々にはさりげなく「母子像」を入れています。母子像がそこにあることは「神の祝福」があることなのです。「母子像のイエス」には他のイエス像では表わせない安らぎがあり、 希望があります。