忍耐と信仰(1971)

1971年6月13日 岩国教会週報
「先週説教より」黙示録13:1-10
《前週週報欠落》

(岩国教会牧師6年目、健作さん37歳)

 黙示録が書かれたのは、ローマ帝国でも皇帝礼拝の一番強かったドミチアヌス帝の末期、しかもその傾向の特にひどい小アジアに於いてである。帝国の権力は、荒く猛々しい一匹の怪獣に例えられている。悪魔的権力を怪獣と見る視点に注目したい。そこには二つの意味が込められている。怪獣は力を持ち、恐るべき支配を行う。人々は驚き恐れ、それに従う(黙示録13:3)。そしてそれを拝む(13:4)。権力とは常にこのような恐るべき面を持つということ(今日においても然り)。もう一つは「ほふられた子羊のいのちの書」に名を記されたもの(ここには敵を愛する、自己否定と十字架を通して隣人に関わる道を生きる者という内容がある)には、このような恐るべき権力でも支配しきれないものがあること。権力の暫定性が示されている(13:5-8)。注目すべきは、サタン的権力は自動的に暫定的なのではなく、「愛と奉仕」の前には力を持たないということである。

 権力にとらわれる者、殺される者の姿は確かにある。そこには抑圧された者のうめきがある。だが、おとなしく屈従してしまっているのではなく、屈従を屈従として持ちこたえるところに「忍耐と信仰」(13:10)があるのではないか。

 私たちは、今日、権力のもとで屈従を屈従として感じなくなってしまってはならない。黙示録の信仰には、うめきが感じられる。「とりこになっていく者は、とりこになっていく」(13:10)と。だが、そのうめきの底に流れる信仰にふれないだろうか。

(1971年6月6日 岩国教会 岩井健作)


BOX-1. 岩国教会所蔵史料

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