2010.7.4、明治学院教会(196)聖霊降臨節 ⑦
(単立明治学院教会牧師5年目、牧会51年目、健作さん76歳)
使徒言行録 7:44-53
1.今日の聖書テキストを分かりやすくするために、あえて誤解を畏れずに一つの現代的な物語を比喩としてお話ししたい。
阪神淡路大地震の時、現地の兵庫教区は「地域の再生なくして教会の復興はない」という標語を掲げて、地震で「住まい」を失った地域の人々の救援を第一とした。
応急民間仮設住宅の建設、生活再建資金の貸付、被災孤独者の訪問活動など。
全国の教会からの募金をまずその活動に充てた。
ところが中央の「教会中心主義者」は「教会の貴い献金はまず教会堂の復興に充てるべきだ」とそれを非難してきた。
教会堂(神の宮)を軽んじてよいというのではない。
しかし、問題はイエス(神)はどこにいまし給うか、という点にある。
このことを徹底して実践したのは、鷹取カトリック教会の神田裕神父であった。
「教会は会堂がなくなって教会になった。」
と仮のテントの会堂に掲げて、地域のベトナム人を含む外国人労働者のサポートを行なった。
会堂はそれ自身が目的ではない。「神殿の問題の比喩」として、震災でのあり方を思い起こさせる。
2.イエスに従う群れとして発足したエルサレムの教会(実際にはユダヤ教イエス派、またはナザレ派)の指導者ステファノ(離散から戻ったギリシア語を話すユダヤ人キリスト者の世話人)は、同じ離散から戻ったギリシア語を話すユダヤ教徒から「律法と神殿を貶(けな)した(6:13)」という偽証で訴えられた。
そして、ユダヤ最高法院での裁判にかけられた(6:8以下)。
その弁明として述べられたとされる(実は著者ルカの主張)のが使徒言行録7章の長い「ステファノの説教」である。
今日はその後半部分「神の幕屋(神殿の前身)」の大切さを指摘する部分(6:44-47)と、「けれども(6:48)」が神殿それ自体を絶対化してはならないと指摘するイザヤ書(66:1-2)へと微妙に繋がる。
この微妙な変化をメッセージとして読み取りたい。
3.神殿は神への「祈りの場所」(ルカ 19:6、使徒言行録 3:9)また「教えの場所」(ルカ 19:47、使徒 3:42)として大切にされている。
それが神殿体制という権力となって「祈りも教えも」そこを通さないと不可であるという締め付けになると、本来の姿から逸脱してしまう。
イスラエルの歴史では、その逸脱を本気で批判したのが、預言者であった。
歴史を顧みると、権力の担い手・それへの加担者は(実はステファノを告発している「あなた方」を含めて)”預言者の苦言が邪魔だったので”、その預言者(イエスも含まれる)を殺してしまった、というのが話の筋である。
4.「微妙さ」を読み取る。
幕屋の由来を語りつつ「人の手で造ったものにはお住みにならない」(使徒 17:14)とは、神殿主義者への批判と共に、自分の内面への自省を宿した言葉である。
これは「エルサレム神殿には限定されない。……この訴えは70年のエルサレム神殿崩壊におけるルカの時代の教会に向けられていよう」(荒井献『使徒行伝』)。
外を切る刀は、いつも内に向けられてこそ、力を持つ。
5.現代的には「神殿と預言者」は「霞ヶ関と寿(寿町)」を連想させる。
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