1974年1月13日 岩国教会週報
「先週(年始)説教より」マタイ5:1-12
(岩国教会牧師8年目、健作さん40歳)
イエスは群衆をみて山に登り…教えていわれた。(マタイ5:1)
「山上の説教」(マタイ5-7)を学ぶにあたり、この説教の聞き方について三つの点を取り上げたい。
第一。マタイの苦心に寄り添って聞くこと。マタイはイエスの言葉を集め編集しただけではなく、彼の状況で自分の知ったイエスを証人として苦心して語っている。「山上の説教」を普遍的教えとしてではなく、語り手の苦心に心を開いて聞かねばならぬ。それは信仰の証言に心を開く聞き方であろう。
第二。マタイのこの説教での強調点は「聞くだけではダメだ」ということである。ある種の恩寵宗教(行いはなくとも救われるということを、ただ頭だけで理解)は人間をダメにする。一つのことを自分の行為にまで結びつける拘束性を放棄して聞いたところで何になろう。行為につながる具体的なところで自分が変えられ、希望へと開かれるに至るところまで聞いた時、戒め(律法)は福音に包まれ成就される。(マタイ5:17、7:24以下参照)
第三。群衆と共に聞く。マタイは群衆に否定的ではない。むしろ、彼らの苦悩、悲しみ、揺れ動きと共に、弟子たちが聞くべき言葉として語られている。民衆の苦しみの現状を負いつつ、その中で身を引き裂かれつつ聞く時、それは単なる戒めではなく、イエスが語った「さいわい」の言葉として、この戒めが私たちを活かすであろう。
(1974年1月6日 年始聖日礼拝 岩井健作)


