1973年5月6日 岩国教会週報
「先週(労働聖日)説教より」ヨハネ15:1-7、マルコ9:50
(岩国教会牧師8年目、健作さん39歳)
「地の塩」(マルコ5:13)という言葉はイエスの人と業(わざ)を離れては語り得ない。自分の生きている場で、地の塩たらんとして、なかなかそうはいかない時、イエスのはるか後方をウロウロしている自分を知って、「塩」というのは、確かに方向性を示しているが、自分のうちには無いもの、と感じてしまう。ところがマルコでは「自身のうちに塩を」と語られている。これは、イエスのいのちにふれることを意味している。成り行きに任せないで「塩」が示す方向性ある生き方を、自分なりに決断し引き受けていく時、ひとりぼっちの苦しさや戸惑いを感じる。しかし、それを通して「塩」は自分の生き方そのものとなり、イエスのいのちを生きるものとされる。今日は労働聖日。今年の公労協ストに加わった方は、きっと現場でさまざまな関係の中で苦しみを味わったに違いない。しかし、イエスの歩まれた方向性を自分なりに引き受けた時、きっと他のものでは得られない力と喜びを与えられたと信じる。イエスと共に生きるところ「塩」はうちなるものとしてある。
(1973年4月29日 労働聖日 岩国教会 岩井健作)


