1989年12月31日、降誕節第1主日
(説教要旨は同日週報に掲載)
(牧会31年、神戸教会牧師12年、健作さん56歳)
マタイ 2:16-23、説教題「神の無力」岩井健作
”しかし、アケラオがその父ヘロデに代ってユダヤを治めていると聞いたので、そこへ行くことを恐れた。”(マタイによる福音書 2:22、口語訳)
教会暦の聖書テキストは、降誕日後の最初の日曜日にマタイ2章16〜23節を選定している。
イエス誕生の喜びの記事に続く「幼児殺戮」の記事である。
イエスの生涯は「飼葉おけから十字架へ」の道であるが、その第一弾が早くも示されている。
ベツレヘムにおける幼児殺戮は、イエスのエジプト逃避行の後、ヘロデ王が怒りにかられて引き起こしたとされる惨事である。
それはマタイ福音書の伝説群(1章1〜23節)の中に記されている。
元来この物語は、旧約聖書のモーセ(出エジプト記1〜2章)をイエスの予型として考えている所に由来している。
エジプトにおけるパロの「イスラエルでの幼児殺戮」について、ユダヤ教は様々な解釈を施した。
それを記した「ミドラシュ」の中の物語に着想を得て、再来のモーセであるイエスもまた危機に見舞われるということで、マタイのみがこの伝説を伝えている。
マタイはその執筆の動機として、ユダヤ人キリスト者を対象としつつ「預言の成就」という論証・説得の方法をとっている。
再来のモーセであるイエスもこの危機を「主の使い」の導きで超えていく、というのが神学的動機であろう。
そして、預言者エレミヤの言葉(エレミヤ 31:15)の引用は、子を失った母ラケルの嘆きを示し、イエスの十字架の苦難と死への道を暗示している。
その引用には「悲しみの声がラマで聞えた」(マタイ 2:18)とある。
”「叫び泣く大いなる悲しみの声が
ラマで聞えた。
ラケルはその子らのためになげいた。
子らがもはやいないので、
慰められることさえ願わなかった」。”
(マタイによる福音書 2:18、口語訳)
”主はこう仰せられる、
「嘆き悲しみ、いたく泣く声がラマで聞える。
ラケルがその子らのために嘆くのである。
子らがもはやいないので、
彼女はその子らのことで慰められるのを願わない」。
(エレミヤ書 31:15、口語訳)
”ラマ”は、エルサレム北方8キロの街で、今日の”エッラーム”だという。
聖書辞典を見てみると、この国の戦争の歴史と共に、死の悲しみが刻まれているような街に思える。
「ラマはおののき」(イザヤ書 10:29)がそれを示している。
”ラマはおののき、サウルのギベアは逃げ去った。”(イザヤ書 10:29、口語訳)
それはまた歴史の現実である。
弱い者を権力で屈服させるような力の渦巻く中にあって、無力で難を避けねばならないような仕方でイエスの歩みが始まっている事を暗示するこの物語は、マタイの動機とは別に、我々に示唆深いものがある。
一年の最後の日曜日、過ぎし日をかえりみて、私たちは、どんな時に神が身近だっただろうか?
それはむしろ、自ら無力さをがっくりと感じる時ではなかったのか。
神が身近だとは思わない程に落ち込んでいる時ではなかったか。
しかし、そんな時にこそ、苦難のイエスは、その無力さにおいてこそ、共にいます方ではなかったか。
「天皇制」がもたらす思想や精神からは、高挙と十字架が繋がるような在り方は出てこない。
無力は無力のまま切られ「神の無力」という背理と希望へは繋がらない。
(1989年12月31日 説教要旨 岩井健作)
1989年 説教・週報・等々
(神戸教会牧師11〜12年目)