イエスと父の関係 – ヨセフはいつ死んだのか(2014 聖書の集い・イエスの生涯から ①)

2014.3.5、湘南とつかYMCA “やさしく学ぶ聖書の集い”
「現代社会に生きる聖書の言葉」第71回、「新約聖書 イエスの生涯から」①

マルコによる福音書 6章1節-6節

 何回か「イエスの生涯」を学んでみたいと思います。

 勿論、イエスのことについて書かれている文献は新約聖書の「共観福音書(マルコ、マタイ、ルカ)」です。マタイ(東の博士たち)とルカ(羊飼いに天使が現れた)にあるイエスの誕生物語はクリスマスのお話としてよく聞きます。しかし、あれはキリスト教が成立してから、救い主イエス・キリストの物語として、生み出された「信仰物語」であり、ほとんど史実として実証出来るものではありません。夢をなくして申し訳ありません。

 歴史的にはユダヤの「ヘ口デ大王」の紀元4年の死以前に誕生した(マタイ 2:1f、ルカ1 :5f)こと、そして「皇帝ティベリウス在位の第15年」(紀元28年、ルカ3:1)に活動を開始したことは史実でありましょう。この年代をイエスの生涯に当てはめると、イエスが公の活動を開始したのは最大を考えて32歳の頃と考えられます。ルカには「イエスが宣教をはじめられたときはおよそ三十歳であった」(3:23)とありますが、漠然としています。

 今回、ご一緒に読んだマルコ6章3節には「この人は、大工ではないか。マリヤの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか」とあります。

 普通、当時はユダヤでは父の名を付けて表現するが習わしで、イエスの父はヨセフ(ルカ 2:4、4:22、その他)でしたから「ヨセフの子」と呼ばれるのが自然なのですが「マリヤの子」と表現されています。ここからイエスを「私生児」(ローマ兵による強姦の子)と想像する見解は沢山あります。

 また、「処女降誕物語」は「イエスが神の子」であることを信仰的に表現した「信仰告白物語」であり、歴史的物語ではありません。そうすると、イエスが宣教を開始した30歳〜32歳頃には、父ヨセフの記憶は郷里の人々にも薄かった事になります。そうして、4人男兄弟、「姉妹たち」 とありますから2人以上でしょう。少なくとも6人兄弟姉妹です。みんな年子というわけではありませんから、最低でもヨセフはイエスの10歳から10数歳までは、一家の大黒柱として生存していたことになります。古代ユダヤでは男の子は13歳で「成人」となると考えられたので、それ迄にヨセフは、職業訓練として大工の手仕事を長男に教えたと想像されます。

 当時の大工は木材(石材を含む)を使った加工業一般で、家屋、家具、農具なども含んでいたと思われる。短期の契約か、日雇いであり、そんなに楽な生活の出来る階層ではなかったことは事実である。想像出来ることはイエスは父ヨセフと少年期の多感な時代に、親密な交わりを持ったということである。そうして、この多感な時期に、10歳から10数歳を過ぎて間もない時期に父を失ったと思われる。

 それからは、母マリヤを含めて6人以上の弟妹を養ったのでしょう。宣教に出る頃には「マリヤの子」と呼ばれていたのです。自分を職業的に独り立ちさせるかさせないかの内に、父を失うということが、どんなに大きな衝撃であったかは想像に余りあるものがあります。母マリヤについても想像するしかありませんが、ルカのイエス少年時代の「エルサレム神殿での物語」(ルカ 2:41f)の記事に「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです」 という母の愚痴が記されていますから、口やかましかったのかもしれません。

 イエスは後に「神」を、家庭で父を呼ぶ「アバ(お父さん、お父ちゃん)」という言葉で呼んでいます。ユダヤ教では決して使われなかった呼び名です。このことからも「父」がいかに身近な存在であり、そこから受け継いだ「手仕事」が思考の源泉であったと思われます。思想というものは、出来上がった観念形態として伝わったとしても死んだものでしかありません。生活の養いとして伝わったものは、生きて膨れるものです。イエスの思考には父と共なる生活が滲んでいるに違いありません。


マルコによる福音書 6章1-6節

ナザレで受け入れられない
(マタ 13:53-58、ルカ 4:16-30)

1 イエスはそこを去って故郷にお帰りになったが、弟子たちも従った。
2 安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた。多くの人々はそれを聞いて、驚いて言った。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。
3 この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコプ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた。
4 イエスは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われた。
5 そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった。
6 そして、人々の不信仰に驚かれた。

聖書の集いインデックス

イエスの”出家” − 洗礼者ヨハネ集団とは(2014 イエスの生涯 ②)

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