イエスの”出家” − 洗礼者ヨハネ集団とは

「現代社会に生きる聖書の言葉」
湘南とつかYMCA ”やさしく学ぶ聖書の集い”

第72回「新約聖書 イエスの生涯から」②
マルコによる福音書 1章1節-9節

「イエスが宣教をはじめられたのはおよそ三十歳であった」(ルカ 3:23)ありますが、恐らくその何年か前に、家を出て、洗礼者ヨハネの集団に入って洗礼をうけたことは聖書の証言からはっきりしています。「洗礼者ヨハネの集団」とは、どのようなグループだったのでしょうか。

当時のユダヤ教は、大きく三つのグループに分かれていました。
一つは律法(今の旧約聖書のはじめのモーセの名によって書かれている5つの書物(モーセ五書)をトーラーと言います)を尊重するパリサイ派。
ニつ目はエルサレムの神殿を中心に祭儀を重んじる保守主義のサドカイ派。
三つ目が、エッセネ派です。
この宗派のことは聖書には直接出てきません。おそらく世俗化した祭儀宗教のサドカイ派や厳格な律法順守を強制するパリサイ派に抗議をして、都市ではなく、荒野で修道院的生活をしたのが始まりで「敬虞な人々(ハシディーム)」と呼ばれた人たちの一派だと言われている。およそ紀元前150年から紀元70年位に活動をしたグループであった。主な特徴は、財産の放棄、独身主義、律法・預言書ついての熱心な学習、安息日厳守、頻繁な沐浴、厳しい日課、などで、エッセネ派も後にさらに四つに分裂してゆくが、死海北岸の荒野で、その遺跡が発見されたクムラン教団もその一派だと言われている。その一派の小集団に洗礼者ヨハネの集団があった。それはクムランなどが何回もの洗礼を強調したのに、ヨハネは一回的な洗礼と、罪の悔い改めを主張した。ヨハネの活動は紀元28年頃(ルカ 3:1)である。ヨハネは「ラクダの毛衣を着て、腰に皮の帯を締め」と、預言者エリヤ(列王記下 1章)を思わせる人物であった。預言者はイスラエルの救済者メシヤの到来を希求したが、バプテスマのヨハネこそがキリスト(救済者)の先駆者であるとの意図でマルコは記されている。

イエスが出家した動機などは福音書には記されていない。人類の多くの宗教家の出家、発心は、身近な者との死別の経験、恋愛の挫折、世俗からの解脱、宗教的苦悩などが契機と考えられるが、イエスも何らかのそのような体験があったに違いない。父の死は大きな出来事であった。また、当時の身近なユダヤ教ではパリサイ派もサドカイ派も世俗に過ぎて、それを批判したエッセネ派に魅力を感じての家出であったかと思われる。

イエスは、バプテスマのヨハネから洗礼を受ける。「罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼(バプテスマ)」(マルコ1:4)とある。洗礼は「教団への入団」の意味を持っていた。福音書によれば、「ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤヘ行き、神の国の福音を宣べ伝え」(マルコ1:14)とあるので、そんなに長くは、此の教団に所属はしていなかったと思われる。また、その集団を受け継いでゆく活動はしなかった。イエス独自の活動であった。しかし、そこから受け継いだものは大きかったに違いない。

そもそも、この小さな集団は、パリサイ派やサドカイ派という大きな宗派に批判的に対抗することの故に存在する意味があった。一つの宗教勢力として力を持つというより、その思想が意味を持っていた。倫理的な正義と愛の実践、罪の悔い改めと清め、などは、人々を動かした内面的力であった。この小集団がイエスに影響を与えた故に、後々大きな意味を持ったことに注目したい。運動というものは、人々を動かすインパクトが大事である。組織が大きくなるか否かは、二の次の問題である。本来宗教というものは、人々に与えて行くインパクト(強い影響)が大事なのである。イエスは強烈なその一人であった。