なえた手をまっすぐに(1973)

1973年3月11日 岩国教会週報
「先週説教より」ヘブル12:5-13

(岩国教会牧師7年目、健作さん39歳)

 壁と思われるような出来事、苦しいこと、困難なことに出会ったとき、それをどんな姿勢で受け止めているだろうか。逃げて逃げ切れるものなら良いが、大抵はそうはいかぬ。問題は、自分ではまともに取っ組んでいるつもりでいても、自分でも気づかぬうちに問題の中心を逸らして、見当違いの取っ組みをしたりしていることが多いことだ。一つの出来事が自分にとって「試練」だと受け取れるのは、相当の成熟を要する。ヘブル人への手紙のこの箇所(ヘブル12:5-13)は「訓練」ということを言っているが、訓練とは試練として事柄を受け取るに至るまでの迂回路のようだと思う。「主に責められるとき、弱り果ててはならない」(5節。箴言3:11からの引用)と言われているように、責められていると感じることは、事柄を正面から見据え、その事柄により自分がより主体的な在り方にまでなっていくために通らねばならぬ道なのであろう。「当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる」(11節)。しかし、それは「神はあなたがた(わたしたち)を、子として扱って(自立の可能性にかけて)おられる」(7節)ことを意味している。色々な出来事を、もっと丁寧に見つめ、固定観念や情緒のレベルで処理してしまうのではなくて、「イエスを仰ぎ見つつ走る」(2節)ための訓練として受け取っていきたい。その面で「なえた手を…まっすぐに」(12節)していきたい。「子として」の誇りにかけて。

(1973年3月4日 岩国教会 岩井健作)


BOX-1. 岩国教会所蔵史料

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