おのれを低くして(1973)

1973年1月7日 年始聖日礼拝 岩国教会週報
「先週(年末)説教より」ピリピ2:6-11

(岩国教会牧師7年目、健作さん39歳)

 この箇所(ピリピ2:6-11)はまとまった詩の形をしたキリスト讃歌です。語の用法などから元々はヘレニズム(ギリシャ化された)ユダヤ教の救済者讃歌をキリスト教化して当時の教会が歌っていたものを、パウロが引用したと言われています。パウロは2章の「へりくだった心をもて」という勧めの文脈で引用しています。引用の中心は『キリストが死に至るまで従順であられた』という徹底的な《人間化》という点にあります。佐竹明氏『ピリピ書』によると、ヘレニズムユダヤ教では救済者は天から下り再び自分の力で天に上り《救済》の働きをするのに対して、この箇所(キリスト讃歌)は、おのれを低くしっぱなしであり、低くする徹底において救いが成し遂げられる所に、特質があると言われます。ある一つの事柄を、常にこのような相のもとに見つめ、またこのような視点から考え、自からを変革していく。そこにイエスによって成し遂げられた救いが見えてくる、というのがキリスト教信仰における救いの姿でありましょう。テレビ(NHK)番組に人形劇『ゆき』というのがありました。天から人間の間にやってくる、ゆきちゃんという女の子が、人間世界を雪のようにきよめる戦いをするのですが、三つの戦いが画かれています。最初は村を襲う外部からの略奪者、次は農民から搾取する庄屋、最後は農民自身に巣食う奴隷根性。最後には、ゆきちゃん自身が命を失くすことで、ゆきのもつ自由と主体的生き方が農民の間に生きていくという筋でした。彼女が自力で天に帰る所に救いがあるのではなかったことが心に残りました。色々な問題に対処して生きる私たちの姿勢の中に、イエスがほんとうに生きておられるかどうか、もう一度省みていきましょう。

(1972年12月31日 岩国教会 岩井健作)


BOX-1. 岩国教会所蔵史料

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