キリスト新聞「読書」欄、掲載日未詳
『宗教再考』笠原芳光著(教文館 1986年12月1日)
(神戸教会牧師8年、健作さん53歳)
ひとたび構築されると壊し難い定型を殻のように負わざるを得ないものに対し、どこまでも流動し転生していく思索のありようを、「洋上の思想」と呼んだのは、哲学者・鶴見俊輔氏であった。教義や制度の儀礼として定型化された既成宗教を相対化して、文化・思想・芸術・文学・音楽・建築・風俗・出版・教育といったものの中に匿名化された宗教的なるものを探り、名目としての宗教を再考し、宗教を止揚し、その実質に迫ってやまないのが、著者・笠原芳光氏の鋭意である。
固い「地上」に累々と積み重ねられてきた歴史としての宗教の内側で、たとえ「宗教改革」「宗教批判」にしろ重い荷を負う宗教人にとって、まして一宗一派の信仰を固守する者にとって、この書は鶴見流に言えば、遥かなる洋上の思索への促しを覚えさせる。
そう言えば、本書を構成する56の短文は、海洋の育みの中で結実した個々の真珠が一連に輝くのに似ている。出版が「教文館」であって一般書店でないことは、著者の思索がプロテスタントを軸としていることと相まって、教会人への問いの提起を意味しているのであろうか。
「宗教の検討」のテーマでまとめられた一群の文は、教義的キリスト教が文化人類学・民族学・深層心理学からの問いを受けとめるようにとの示唆を与えて止まない。
著者はかつて新聞に連載した宗教時評を『宗教の現在』(人文書院 1982)として上梓した。『宗教再考』はその後1984年から2年余りの間に「信濃毎日新聞」に寄稿したものを集大成したものである。著者の博識と洞察、批評と総合の力量が冴えている。時をかけ、足で歴訪した宗教に関する現象・行事・施設につき、分かりやすい説明と現代的評価がなされ、隠された根本精神が描かれている。特に、訪問し、聴き、語り合った人物の多様さと層の厚さは著者の交友の幅の広さを物語り、圧巻である。本書を手にとられることをお薦めする意味で、その名を挙げることを省く。著名な哲学者・文学者・建築家・民藝家・音楽家・仏僧・歌人などがいるかと思えば、キリスト教界では身近な名が随所にあり、発掘された市井の匿名の宗教人がある。
筆者に懐かしい一人を挙げるとすれば、亡き高倉徹牧師であろう。著者は氏を懐かしんで「おもむろに父上のこと語られし君はやゆけり父上のへに」との一首を詠んでいる。著者の温かみのある人柄がにじむ。この書はまた宗教の微細で小さな部分に想いを曳(ひ)く。著者の身近なところにある画家の森本勇氏が、心温まるデザインをカバーに寄せておられる。
(筆者 岩井健作・神戸教会牧師)
