信仰の道備え《詩篇 80:5-8、ヘブル 12:12-17》(1992 本日説教のために)

1992年12月13日、待降節第3主日、神戸教会 週報

(神戸教会牧師15年目、牧会34年、健作さん59歳)

詩篇 80:5-8、ヘブル 12:12-17
説教題「信仰の道備え」岩井健作


 待降節第3週の日曜日に読まれる聖書日課には、次の4ヶ所があげられている。

 詩篇80:5-8、列王紀上18:36-40、ヘブル人への手紙12:12-17、ルカ7:24-35。

 これらの箇所をそれぞれに開けて読んでみると、特に共通のテーマがある訳ではないが、いわば先駆者の労苦というものが滲(にじ)んでいるように思われる。

 詩篇80篇には「あなたは涙のパンを彼らに食わせ、多くの涙を彼らに飲ませられました」とある。(詩篇 80:5)

 イスラエルの先達たちへの思いである。

 その先達の労苦を思いつつ「われらの救われるため、み顔の光を照してください」と祈っている。(詩篇80:7、口語訳)


 列王紀上18章では、カルメル山の祭壇で、バアル宗教の祭司たちに天からの火をもってヤハウェ(主)の臨在を証しした預言者エリヤは、雨雲を7度も確認しに行き、アハブ王の前に「腰をからげ」(列王紀18:46)走っていき、神の生きて働き給うことを証しした。


 ルカ7章では、バプテスマのヨハネが、イエスの先駆者だったと告げられている。


 そして、ヘブル人への手紙12章12〜18節では、「一杯の食のために、長子の権利(神から与えられたかけがえのない恵み)を売った」(ヘブル 12:16)旧約の人物エサウが、他山の石として語られ、信仰生活の訓練の必要なことが述べられている。

 ここにも初代の教会の指導者たちの先駆的苦労が滲んでいる。


 ヘブル人への手紙は、書簡というより、初期教会の指導者の説教であるといわれる。

 特に10〜13章は訓告的な部分である。

 この部分の大きなテーマは《忍耐》である。

 忍耐の必要が訓告の形で述べられ(10:32-39)、信仰による忍耐が旧約聖書の信仰の英雄の例を通して語られ(11:1-40)、これを受けて忍耐をもって信仰の馳せ場を走り抜くよう勧めがなされる(12:1-4)。

 父なる神の訓練(12:5-11)、まっすぐな道を作れ(12:12-17)、忍耐の報い(12:18-24)、神に喜ばれるように仕えよ(12:25-29)、そして13章の補足が続く。


 恵みの到来という客観的な側面をもつクリスマスに対して、待降節は、自ら信仰の忍耐をもって信仰を訓練するという主体的側面が強調される。

 これなしには「恵み」は安価な似て非なるもの、観念化されたものとなる。

 そこには力がない。

 「あなたがたの足のために、まっすぐな道をつくりなさい」(ヘブル 12:13)とあるが、この言葉は、初代教会の集会から遠ざかっている人のことを言っているという。

 イザヤ書35章3節を思い起こさせる。

 先駆者は、一層労苦を負うが、また恵みも大きい。


(1992年12月13日 神戸教会週報 岩井健作)



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