神のわざへの参与 – 教会幼稚園の働き(1978 説教要旨)

1978年2月12日 岩国教会礼拝説教
1978年2月19日 岩国教会週報「先週説教より」
マルコ 10:13-16

(岩国教会牧師13年目、退任2ヶ月前、健作さん44歳)

”幼な子らをわたしの所に来るままにしておきなさい”(マルコ 10:14、口語訳)

 朝の光を輝かせて水玉がきらきらとしぶくように子供たちは幼稚園の門を飛び込んできます。教会幼稚園の朝はこんなにして始まります。この子らをどのようにして育ててゆくのか。このたび全国教会幼稚園連絡会で教会幼稚園の基本的理念と方針を明確にするため「キリスト教幼児教育および施設についての基本的見解(ステートメント)」が発表されました。それを骨子として今日は幼稚園の働きについて述べます。細かいところで批判点がない訳ではありませんが、これは大変すぐれた「見解」でこれを学ぶことで幼稚園への理解と祈りを深めていただけるものと信じます。まず幼稚園の働きを「神のみわざ」として捉えています。「神の」とは「私たちの」ではないということです。キリストの十字架と復活を通してなされた神の救いのわざはまさに「神の」側からなされたわざです。幼児教育施設が教会に設立された動機(直接伝道・地域への接触伝道の経済的補助)は様々ですが、神はこれを用いて幼児を招き給う所に中心があります。神のわざの中身は十字架によるあがないの救い(人間性の回復)ですが、これは教育的人間観から見れば、今の日本では憲法と教育基本法の理念を手がかり、媒体として活かし得るものです。ところが、高度経済成長に促された教育のゆがみの中で、この理念は外(国の支配)や内(親・教師)から揺さぶられています。今、国は幼稚園の設置形態を学校法人(今は宗教法人、個人等もある)に統一しようとしていますが、このことに慎重に対処しているのも、神のわざの中身をどうやって確保していくかの問題があるからです。私たちは神のわざに参与しているようで、マルコ福音書の幼な子をたしなめた弟子のようになっている場合もあります。(つづく)

(1978年2月12日 岩国教会礼拝説教 岩井健作)

BOX-1. 岩国教会所蔵史料

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