神のいましめ(1976)

1976年10月24日 岩国教会週報
「先週説教より」マタイ15:1-11

(岩国教会牧師12年、健作さん43歳)

なぜ…自分たちの言伝えによって、神のいましめを破っているのか。(マタイ 15:3)

 律法『神の戒め』と『言い伝え』との関係は、例えて云えば、憲法に対する裁判の判例の如きものでありましょう。判例は、それぞれの状況で法の根本精神から導き出された状況的結論であって、固定化されるべきものではありません。旧約聖書の律法(神の戒め)は根本において神と人との契約、すなわち信頼に基づくものでありますから、その信頼の中で法の持つ厳しさ、他律性が活かされないと、契約は壊れます。つまり、勝手な解釈で法を骨抜きにしてはならないのです。ところが、マタイ15章の律法学者たちは、『言い伝え』を盾にして、『神の戒め』を骨抜きにしました。イエスはそこを撃っています。

 『父と母とを敬え』というのは、人間の共同的あり方の基本になる、他者と出会うということを身をもって訓練されるための戒めです。神が信頼と愛とをもって『戒め』という方法で人間の成長過程に入ってくる意味では、律法の根幹につながるものです。

 それは単なる建前ではありません。建前というものは、本音をさらけ出させる役目をしますが、自主性を育てはしません。契約に根を置く『戒め』は、他律性(他からの命令や束縛によって行動を促す)を持っていながら、その他律は自立を促します。

 戒めを骨抜きにしては、自立は育ちません。生活の中で建前と本音をそのままにしてしまわないで、建前など取り払って『神の戒め』という信頼の前に立つ自分を大切にして生きていこうではありませんか。

(1976年10月17日 説教 岩井健作)


(報告欄より)
 共同の祈り「バザーのために」
 礼拝後、教会学校教師会、夕礼拝。
 牧師在宅日 26日(火)
 和室家庭会 27日(水)
 祈祷会・聖書研究会 27日(水)
 中谷訴訟公判参加 28日(木)
 山手家庭会 29日(金)
 教会バザー 11月3日(水・祭日) 目的:教区社会事業支援、幼稚園の施設拡充。


BOX-1. 岩国教会所蔵史料

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