弱者に対する聖書の視点:第2回 アモスの視点で現代を考える(2009 大井伝道所・修養会講演)

2009.8.29(土)大井伝道所(神奈川県足柄上郡)修養会

(明治学院教会牧師、健作さん76歳)

1.旧約聖書のアモスを取り上げた。

 そこに弱者が、時の政治権力者・支配層の人々・その国の富める人々によって、徹底して虐げられている現実が書き留められている文書であること、そこに痛みを持って、この人達に心繋げつつ、そこを現代の痛みに重ねることが聖書を読むことではないかという気持ちがあったからである。

◀️ 第1回 アモス書とは

2.この文書一切の「解題的」な解説を抜きにして、まず、最初からありのままの本文に触れることにする。

 このアモスという人が目にした現実がそこには出ている。これらは「イメージの連鎖」として現代に繋がる。( )は岩井コメント。

① 1:3「鉄の打穀板」(虐殺)

② 1:6「とりこにした者をエドムに引き渡した」(奴隷として売る)

③ 1:9「兄弟の契りを心に留めなかったからだ」(契約の破棄)

④ 1:11「憐れみの情を捨て」(人間に凌辱)

⑤ 1:13「妊婦を引き裂き」(領土争いの結果)

⑥ 2:1「王の骨を焼き、灰にした」(死者への冒涜)

⑦ 2:4「掟を守らず」(ころすな!を含むあのモーセ律法の拒否)

⑧ 2:6「正しい者を金で、貧しい者を靴一足の値で売ったからだ」(司法が金[賄賂]で曲げられる、極貧者は靴一足に値で奴隷に売られる)

 2:7「弱い者の頭を地の塵に踏みつけ」([解釈が4つぐらいに別れる]貧者への横暴)

 2:7「悩む者の道を曲げ」(弱者への侮辱)

 2:7「父も子も同じ女のもとに通い」(神殿娼婦の所へ、宗教的慣習の悪事)

 2:8「質に取った衣」(衣は寝具を兼ねる、夜は返すのが法の定め)

 2:8「科料として取り立てたぶどう酒を神殿の中で飲んでいる」(弱者から巻き上げた金と酒、神殿に堕落の渦が)

⑨ 2:12「ナジル人に酒を飲ませ」(神に仕える人の世俗への買収)

⑩ 3:10「不法と乱暴を城郭に積み上げている」(軍事の腐敗)

⑪ 3:12「豪奢な寝台やダマスコ風の長いすに身を横たえ」(上流階級の生活)

⑫ 4:1「バシャンの雌牛どもよ。弱い者を圧迫し、貧しい者を虐げる女たちよ」(夫を唆す女の徹底した堕落の正体)

⑬ 5:10「町の門(裁判)で訴えを公平に扱う者を憎み、真実を語る者を嫌う」(不義の拡大悪循環)

⑭ 5:11「弱い者を踏みつけ、彼らから穀物の貢納を取り立てる」(搾取で家を建て、酒をのむ)

⑮ 5:12「正しい者に敵対し、賄賂を取り、町の門で貧しい者の訴えを退けている」(富める者は殺人を犯しても賄賂がものをいう)

⑯ 5:13「知恵ある者はこの時代に沈黙する」(批判は身の危険を招く、身の安全が第一)

⑰ 5:16「悲しむために農夫が、嘆くために泣き男が呼ばれる」(職業的泣き女が不足になる程の現実の悲しみ)

⑱ 6:10「親族と死体を焼く者が、彼らを家の中から運び出す」(普通は土葬、死体のころがる緊急事態の現場でさらなる災いをまねかないための嘘)

⑲ 8:4-5 不正の商人。

 8:5「新月祭はいつ終わるのか、…安息日はいつ終わるのか、…」(一般の休日、神の日でも貪欲に商売をする)

 8:5「エファ枡は小さくし」(不正な取り引き)

 8:6「弱い者を金で、貧しい者を靴一足の値で買い取ろう。また、くず麦を売ろう」(商人の人を奴隷にまで落ち込ませる過酷さ)

 アモスが記す現実から、現代の我々が、どのようなイメージを描くことが出来るか。

 その想像力(イマジネーション)の広がりが、実は「聖書」を読むことではないか。

3.アモスの今日的意味

「非正規8万5000人失職」(08/12/26 朝日夕刊)

「『過ごす場もない』人々の波、『派遣村』の訴え」(09/1/3 朝日)

 に始まり、「高齢者介護」「母子所帯」「外国人労働者」「障害者介護」など、加えて、イラク、パレスチナ(戦闘中)、恐怖と飢餓の中の子供たち。

 それぞれの個別問題を、アモスを読むことから与えられるイメージと、その言葉を現代に移して、時代を生きる感覚を養われることが聖書に相対する私たちの役目ではないだろうか。

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