弱者に対する聖書の視点:第1回 アモス書とは(2009 大井伝道所・修養会講演)

2009.8.29(土)大井伝道所(神奈川県足柄上郡)修養会

(明治学院教会牧師、健作さん76歳)

2009年 大井伝道所修養会

第1日目
講演①「アモス書 − 解説」 岩井健作
講演②「アモス書をみんなで読む」 岩井健作

分団(Ⅰ)「貧しくされ、虐げられている者たちの実態。アモスの時代はどうだったか。そこから想像される現代はどうか。それを変える力は?!」
例えば『正社員が没落する −「貧困スパイラル」をやめろ!』(堤未果、湯浅誠著 角川書店 2009)が投げ掛けるもの。

分団(Ⅱ)「言葉を使う者の責任。宗教者・知識人・言論人・中産階級。アモスは預言で闘った。現代の言論・キリスト教の役割は?!」

第2日目
主日礼拝説教「生活の知恵に宿り給う神」 岩井健作
 コヘレトの言葉 4章1−12節、マルコによる福音書 4章1−2節
 讚美歌21−494(ガリラヤの風)

1.「旧約聖書」における「アモス書」の位置

 書物としての旧約聖書は本来ユダヤ教の聖典である。その「ヘブル語原典」では『律法(トーラー)・預言者(ネビーイーム)・諸書(ケスビーム)』が書物の題名。

 これは元来3部作の書物。

 時間や歴史を軸に考えると「律法」は時を超えた「神の言葉(法)」。

「預言者」は、時に向き合い切り込む時代状況での「神の言葉(裁きと叱責、慰め)」。

「諸書」は時の中での「神の言葉(文学、詩歌)」。

 アモスは「預言者中の預言者」。「出エジプト」は奴隷の苦難の民の叫びを聞いた、ヤハウェ(主)が救いの手を延べ、その主導で起こった解放の出来事。

 ここが「旧約」の原点。

 その出来事の具体化(救いの遂行)として「モーセ律法」が授与される。その律法への背信がイスラエル民族の歴史的現実。「神の言葉(法)」と民族の背信に現実との乖離で苦しむ人間(実存者)が預言者である。

 すでにその役目はモーセ、サムエル、エリヤ、エリシャが負ってきた。言葉としてそれを明確に残した最初の預言者がアモス。イザヤ、エレミヤ、エゼキエル、第二イザヤと続く。

2.律法への背信とは何か。神のもとにおける共同社会(救いの現実)の破壊が背信。富める者と貧しい者との階層の固定化そのものが背信である。

 古代イスラエル史を素描する。この民族は族長部族時代(アブラハム、イサク、ヤコブ)後、エジプトに移住、専制君主パロ(文語・口語)/ファラオ(新共同訳)のもとで奴隷であった。その苦難の叫びを「神ヤハウェ」が聞き届け、「出エジプト」の奇跡的解放がモーセを指導者として成された。

 その後、荒れ野の放浪が続き、パレスチナのカナンに浸入し土地取得を行い、部族の宗教的連合体の形で民族共同体を培ってきた。この時代は基本的に農耕と牧羊を中心とする平等社会であった。

 土地は神からの嗣業で売買の対象ではなかった。後、外敵・海洋民族ペリシテに対抗するため王制国家を形成された(サムエル記)。ここで土地の持つ意味を含む経済諸関係の根本的変化が起きる。王権を支える官僚機構、国家祭儀のための祭司階級、軍人機構など直接生産に携わらないで特権的力を持つ階級が出来て、権力構造の上部を占めることになる。彼らの地位と生活維持のため、国家の租税機構が整えられる(サム上8:15f)。

 土地について言えば王宮領や官僚・軍人たちの封土が必要になり、これらは自営農民の「嗣業」が犠牲にされ供給された。更にこれらは資産となりこれを基盤として、大土地営農が成立し、その生産物が流通商品となり、彼らの経済基盤となる。

 農業労働には土地を失った没落農民や奴隷が動員された。王国時代のこのような社会層の分化と格差の広がりは、遺跡にも富裕階級の住宅区域と密集したスラム街と残されているという(『現代聖書講座』第一巻 P.80 山我哲雄)。

 王国体制下、自給自足の原則は崩され、貢租の義務、自分の生計の生産、強制労働や徴兵、加えて飢饉で農民は土地担保や身体担保で大土地所有から種を借りることさえ起こったという。自営が奴隷化して土地の寡占化が進行し、その中での権利回復のための裁判が経済力で曲げられた。

 この事実に「主はシオンからほえたけり、エルサレムから声をとどろかれる」(アモス1:2)と切り込むのが預言者であった。

3.アモスの時代とは

 今から2700年余り前、パレスチナでの出来事である。イスラエルの王国が北イスラエルと南ユダに分裂をして二つの王国があった。舞台は北イスラエル王国でヤラベアム2世(BC786-746)の治世である。隣国シリアと北のアッシリア帝国が弱体化していて、侵略戦争のない時代、国の内外は繁栄の空気が漂っていた。それが奢りを産み、不義不正を行う支配者の横暴は目に余るものがあった。特に、宗教は繁栄を祈り祭りを行う国家祭儀となっていた。

4.アモスの人物(7:14-15)

 紀元前750年頃、ユダ王国のテコアという小さな村で牧畜(牛を飼う)を生業とし、いちじく桑(貧しい人の食料)の栽培も兼ねていた一介の田舎人であり「都市文化に対し燃ゆるが如き憎悪を以て之を弾劾」(浅野順一『預言者の研究』 P.26)した。同じ預言者でもイザヤ、エレミヤ、ホセアが誇るべき父の名を持ったのとは異なる。

 エルサレムから南に15キロほどの寒村で小家畜飼育以外には特に産業を持たない所の出身。当時活動をしていた宗教者集団・職業的預言者とは何の関係もない人であった。しかしその彼が主(ヤハウェ)に召されて、預言活動をした。その期間は1−2年間だといわれる。彼の言葉は自らの記録や彼の弟子たちが残した「アポフテグマ」(状況描写の導入がある言葉とセットの物語。木田献一『イスラエル予言者の職務と文学』)として残った。

5.アモス書の構造

 現在の編集に添って概略を分けると、
① 6つの隣国およびイスラエルへの審判(1-2章)
② イスラエルに対する罪の指摘(3-6章)
③ 審判の幻(7:1-9、8:1-6、9:1-10)
④ 聖所ベテルにおけるアモス(7:10-17)
⑤ 主の言葉の飢饉(8:7-14)
⑥ 結語:罪の赦しと回復の希望(9:11-15)となる。

 実際は、アモスは3回言葉を語ったと思われる(木田『イスラエルの信仰と倫理』)
① ベテルでの第一回の預言(4:4-5、4:27、8:9-14)
② サマリヤでの預言(3:9-4:3、6:1-14、8:4-7)
③ ベテルでの第2回目の預言(1:1-3:2、9:7-10)
④ 預言の根拠を述べた知恵的な文章(3:3-8)
⑤ 五つの幻の記事(7:1-9、8:1-3、9:1-4)
⑥ 伝記的記事(7:10-17)

6.アモスの預言の特徴

① 彼は審判の預言者

「主の日(5:16f.)」が政治主義的・民族主義的に特権選民のイデオロギーとなって支配層の守護の論理となっている。

「彼らは、災いは我々に及ばず 近づくこともない、と言っている」(9:10)

 と指摘している如き傲慢に対して、徹底してそれが「裁きの日、光ではなく闇」であることを告げた。

 諸外国の裁きと同時にイスラエルは裁かれる(諸外国からイスラエルに言及する「2:6」の導入の勢いを見よ)。

 主はこう言われる。
 イスラエルの三つの罪、四つの罪のゆえに
 わたしは決して赦さない。
 彼らが正しい者を金で
 貧しい者を靴一足の値で売ったからだ。
(アモス書 2:6、新共同訳)

「救い」と「裁き」の意味の逆転、逆説を説いた預言者であった。裁きの主体であるその神は「超越的人格神」「倫理的一神教」(浅野順一)。

「主(ヤハウェ)を(バアルではなく)求めよ、そして生きよ」(5:4-6)」

 主を求めよ、そして生きよ。(アモス書 5:6、新共同訳)

 と「出エジプト」以来の信仰の基本を説いた。その基本を歴史へと展開することは預言者の職務であるが、アモスはそれを北イスラエルに徹底した。

「審判」とは「自分に」及ぶことを外して、その外にあるのではない。

② 彼は正義の預言者

 イスラエル宗教が、神の選び(出エジプトの救済、「紅海の歌」[出15]「デボラの歌」[士師5])に基づく契約の信仰に基礎があることを鮮明にして、この契約が、同時に人間相互の共同体諸関係の社会法に徹底されていない危機を痛烈に批判した。

「正義を洪水ように、恵みの業を大河のように」(5:24)

 正義を洪水のように
 恵みの業を大河のように
 尽きることなく流れさせよ。
(アモス書 5:24、新共同訳)

 の叫びをあげた。

 自営農時代にはなかった貿易の拡大と、王の政策で自己資本の増殖とその陰険な手段・術策を、イスラエルの社会生活の基盤崩壊の危機として弾劾した。

③ 彼は祭儀批判の預言者

「わたしはあなたがたの祭りを憎み、退ける。……お前たちの騒がしい歌をわたしから遠ざけよ。」(5:21-23)。

 本来イスラエルの祭りは、細かい規定がレビ記(1-7章)にあるように、和解・贖罪・賠償・穀物・葡萄酒・随意の献げ物など神との関係での、悔い改め・感謝・祈願・執り成しが内容だった。

 しかし、アモスの時代、宗教がカナンのバアル宗教の影響で変質して、生産性向上と自己拡張が第一になっていた。人々が動員されたベテル、ギルガル、ベエルシバの国の祭壇では、王室の楽隊が繰り出されて騒がしい音を出していた。それを厳しく弾劾した。ベテルの祭司アマツヤとの対決(7:10f)の託せんの言葉は激しい。

④ 彼は執り成しの預言者

 アモス書7章1−6節。「イスラエル」は国名である。しかし、そこに生きる民衆は「ヤコブ」である。

「主なる神よ、どうぞ赦してください。
 ヤコブはどうして立つことができるでしょう
 彼は小さい者です。」
(アモス書 7:2、新共同訳)

「二番草」「畑」の破壊という審判には生活者は耐えられない。民衆(生活の主体)を執り成す預言者(言葉の主体)の役割を自覚していた。

▶️ 弱者に対する聖書の視点:第2回 アモスの視点で現代を考える
(2009 大井伝道所・修養会講演)