逆転もあり(2009 礼拝説教・使徒言行録)

2009.8.23、明治学院教会(164)聖霊降臨 ⑬

(単立明治学院教会牧師 5年目、健作さん76歳)

ヨエル 3:1-5、使徒言行録 2:22-28

”しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。”(使徒言行録 2:24、新共同訳)

1.全国高校野球大会の第12日(8月21日)、花巻東と明豊の試合で、花巻東の菊池雄星投手は4回までパーフェクトピッチング、5回途中に背中の痛みで降板し、後続が3点のリードを許したが、花巻東はピンチをチャンスに変え、延長10回に7対6で逆転勝利をした。「全員で勝利」とは新聞評。「逆転もあり」。

2.使徒言行録の2章は「聖霊の降臨(1-3節)」で始まる。ここは聖霊降臨日の箇所なので、今回は先に進む。

 次の「ペトロの説教(使徒言行録 2:14-41)」は三つに分けられる。

 冒頭(14-21節)は「多言語の奇跡」を「酒に酔っているのだ」とあざける人たちへの弁明。その先の説教の中ほど(22-28節)では「イエスとは誰か」を述べる。

3.この説教全体(”ペトロの説教”と呼ばれる)は、著者の構成によるものである。

 全体は”神”が主語である。

 ルカの神学では、イエスは”神の器”に過ぎない。

 イエスの十字架については次のように語る。

”このイエスを神は、お定めになった計画により、あらかじめご存じのうえで、あなたがたに引き渡されたのですが、あなたがたは律法を知らない者たちの手を借りて、十字架につけて殺してしまったのです。しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。”(使徒言行録 2:23-24、新共同訳)

 1箇所だけ「あなたがたは……十字架につけて殺してしまった」(2:23)と、ユダヤ人が主語になっている。

 ここが「逆転もあり」というところである。

 しかし、この逆転も、ルカの救済史では「ユダヤ人によるイエスの殺害は、神の救済史の一段階として予め定められてあったというルカの十字架理解が表明されていることになる」(荒井献『使徒行伝上』 p.152、新教出版社 1977)。

「イエスの死を人間の罪の赦しとみなす、パウロからエルサレム教団に遡るであろう『贖罪死観』はルカ文書には全体として欠落しているのである」(荒井同書 p.152)。

「《イエスが甦った》(アナステーナイ)という告白定式は、《神がイエスを起こした》(エゲイレイン)という告白定式より新しく、アナステーナイを《起こした》と同等の意味に、すなわち《甦らせた》の意味に用いているのは、新約の中でルカ文書に限られている」(荒井同書 p.152)。

(サイト記:荒井献さんの著書の引用部分のチェックができていませんので、引用ミスがあるかもしれません)

4.神が遣わしたイエスを殺す社会の現実はある。それが現実だと言えば。

 しかし、神がイエスを甦らせる、この出来事への揺るぎない信仰がルカにはある。殺人という現実の中で「命」を信じて歩み続ける。

 ルカは使徒言行録の2章25節以下で、詩編16編1-8節を引用する。

”あなたは、命に至る道をわたしに示し、御前にいるわたしを喜びで満たしてくださる。”(使徒言行録 2:28、新共同訳)

5.NHK番組「日本の、これから」を見た(8月15日)。

 テーマ。核廃絶は可能か。

 核の「抑止力」を主張する人々は意外に多い。現実主義者である。

 アメリカの核の傘を肯定し、核武装が現実的だと主張し、「核廃絶」は机上の空論だという。

 核は「殺す」論理だ。歴史の局面では「逆転もあり」で現実論が強そうだ。が、命の確かさは変わらない。

 核問題では「廃絶しかない」と私も叫びを上げてきた。

 ルカの神学が、ユダヤ人の「人殺し(罪)の現実」への「逆転」も認めつつ、なお、ブレないのがよい。

164-20090823

礼拝説教インデックス

◀️ 2009年 礼拝説教

error: Content is protected !!