イエスと行動を共にする(1976)

1976年5月30日 岩国教会週報「先週の説教より」
ヨハネ6:60-69、第二テモテ2:8-13

(岩国教会牧師12年、健作さん42歳)

それ以来、多くの弟子たちは去っていって、もはやイエスと行動を共にしなかった。(ヨハネ6:66)

 イエスの弟子の多くの者は、イエスの説かれた教えやイエス御自身を、自分の納得のいくように理解しようとしたのではないだろうか。だから、納得のゆかないことが起きると、例えば、命のパンを与える「人の子」が天から下って来た、ということにつまづいてしまった。自分が思っているように理解するのは、結局"肉"(人間の自然的可能性)であって"霊"(神の与える可能性)ではない。自分が思うように理解することを断念することから始まる可能性こそ重要なのだ、ということが分かれ目であった。ペテロはイエスと行動を共にした。彼はイエスを「神の聖者」という、独自で古風な尊称で告白する(信仰告白としてはマタイ16:16の方が整っている)。だがここではイエス理解(告白)の表現の厳密さが問題なのではない。多くの者が去っていく中でイエスを告白してゆくことが同時に行動を共にすることだった、ということが大事である。

 行動が告白であるということを抜きにしては、「信じる」ということは成り立たない。しかし、その真実のすべてを言葉の告白に盛り込むこともまた出来ない(完結した世界観的信仰理解は絶えず砕かれねばならない)。ただ、「たとい、わたしたちは不真実であっても、彼は常に真実である」(第二テモテ 2:13)とある如く、イエスの真実に支えられて、具体的に決心し、行動していくことだけは、消えることなく残っていく。

(1976年5月23日 岩国教会説教 岩井健作)


(報告欄より)
 共同の祈り「アジアの隣人のために」アジアサンデー(5月30日)をおぼえて。
 礼拝後、壮年会例会 話:蛯江紀雄(清鈴園園長)、青年会、夕礼拝。
 岩国地区婦人会連合委員会 31日(月)
 幼稚園理事会 31日(月)
 牧師在宅日 1日(火)
 祈祷会・聖書研究会 2日(水)

 次週、ペンテコステ礼拝。


BOX-1. 岩国教会所蔵史料

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