1976年4月18日 復活節(イースター)礼拝
岩国教会週報「受難週黙想」
(岩国教会牧師12年、健作さん42歳)
「アバ、父よ、あなたには、できないことはありません。どうか、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころのままになさってください」。(マルコ 14:36)
小磯良平の画いた「ゲッセマネの祈り」では、色彩はくすんで淡く、眠り込む弟子たちを一層深く闇の中に沈ませている。ひざまずいたイエスの面(おもて)と肩のあたりがほの白く照らされ、その祈りは画面全体を包むが如くである。
祈りは三つの部分より成る。アバ(お父さん)と、孤独と沈黙を一気に破ってほとばしりでる全き信頼の告白が最初に来る。砕かれがたい我執に苦しみ罪に喘ぐ者は、いつの日にこのような祈りをなし得るのであろうか。次は一転して「この杯」の重圧が胸を締めつけるばかりに響く。人は誰しも他に代わってもらえない荷を負う。時が解決するといったうちはまだ良い。だがもはやどうにもならないのが「この杯」。苦しみ、闘い、痛み、打ちひしがれて、そして取り除けてくださいと切なる叫びを出す重い長い時がそこには流れている。「しかし」という転換がなされるに至るまでの経過に、果たして私たちは耐えることができるのだろうか。最後の部分は、私たちの理解を遠く退ける。「わたしの思い」が打ち砕かれる全き否定があるとするなら、その極みにおいて祈り得る祈りとしか言えない。この祈りを分かったような顔で了解することは私たちには許されていない。弟子たちの眠りのうちに祈られた祈りであることに象徴されている。これは十字架の死に結び合わされたイエスの固有な祈りである。かけがえのない祈りである。祈り自体が驚きであり"福音"なのではあるまいか。
(受難週黙想 岩井健作)
(報告欄より)
共同の祈り「新年度の歩みのため」「在日韓国人政治囚釈放のため」
礼拝後、第20回教会定期総会。
岩国キリスト者平和の会 20日(火)憲法記念日行事準備会


