のがれ道(1975)

1975年2月9日 岩国教会週報「先週説教より」

(岩国教会牧師10年、健作さん41歳)

試練と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。(コリント第1 10:13)

 「立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい」(コリント第1 10:12)とパウロは言っています。コリントの知識(グノーシス)主義者に向けて言ったものと思いますが、私たちも自分の信仰や考え方について、気づかないうちに自分に固執しているときが危ない時ではないでしょうか。知らないうちに陥る自我への固執や自己正当化から自由になり続ける事はなかなか難しいことです。ある出来事がきっかけとなって自己変革が促されるときは、それがその人にとって「試練」や「試み」といえるでしょう。聖書では「試練」は他方で「誘惑」(マルコ 14:18)と訳されていますが、あることが口実となって自己正当化がなされれば、それは「誘惑」です(古い「引照 新約聖書」では「試惑」と訳されている)。私たちは、自分の思考様式だとか性分とか体質といったものから仲々自由になれませんが、それを口実にしてはならないでしょうし、自分の根本が揺さぶられるようなことに耐えて、自分を見直してゆくことが試練に耐えるということではないでしょうか。「のがれ道」はルターの訳では「結末、終わり、成り行き」といった意味に訳されています(ヘブル 13:17はその意味)。試練の結末は神が備え給う、という信仰が、耐える力となりましょう。「しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる」(マルコ 13:13)。

(岩井健作)


BOX-1. 岩国教会

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