利を貪り堕落する民族(2014 エレミヤ ③)

2014.10.8、湘南とつかYMCA “やさしく学ぶ聖書の集い”
「現代社会に生きる聖書の言葉」第83回、「旧約聖書 エレミヤ書を読む」③

(前明治学院教会牧師、牧師退任から半年、81歳)

エレミヤ書 6章13節−17節
「彼らは、わが民の破滅を手軽に治療して、平和がないのに、『平和、平和』と言う。(14節)

 前回学んだ事柄「召命」(Calling, Vocation)はエレミヤの生き方を捉えるキーワード(鍵語)でした。

 エレミヤは、神の言葉と人間の不真実の間で、神の言葉を「預る」者(預言者)として苦悩した人です。その苦悩が世史的規模で展開されるとところにエレミヤの生きた時代と彼が担う苦悩の大きさと深さがありました。

 現代の問題にたなぞらえて言えば「パレスチナ」や「沖縄」の苦悩が世界史的規模であると言い得るのと同じです。沖縄の苦悩は、アメリカ帝国主義が滅びない限り、どのような小手先の解決も望めないと断言する人々の感覚を思うと、その苦悩の重さはただ事ではありません。

 アッシリヤ帝国のアッシュールバニパルの死が紀元前627年、新バビロニア帝国を興したナボポラッサルの即位が紀元前626年、ユダ王「ヨシヤ王の宗教改革」が紀元前625年、メディア王国を築いたキュアクサレス2世の即位が紀元前625年。アッシリア帝国に抑圧されていたパレスチナの小国が立ち上った時代です。

 エレミヤはヨシヤ王と基本的に同じ外交上の立場を取りました。親バビロニア政策です。

 ユダ国内では、アッシリアの支配下でユダ王マナセ(B.C.687-642:ヨシヤ王の二代前の王)が導入した異教的宗教祭儀と施設を守る民族主義が一方で盛んになり、ヨシヤの宗教改革に反対をします。しかし、ヨシヤの宗教改革はイスラエルのヤハウェの宗教への徹底的回帰を行うものでした。ヨシヤ治世のB.C.622、王が神殿修理を命じ、工事が行われている時、大祭司ヒルキアは王の書記官シャファンに、神殿で「律法の書」が発見されたと告げます(列王下22:8)。

 これは現在の「申命記」の主要部分です(申12-28章)。これがヨシヤ王に徹底した宗教改革を行わしめます。実際には、当時、異教宗教の祭司として「飯を食い」特権を持っていた人が、粛正されたのです。

 エレミヤは命を狙われます。そのことは次の課題として、今日のところは、ヤハウェ宗教の形ばかりの指導者をも含めて、異教の指導者とそれに追従する大衆の堕落ぶりを記したところです。聖書の言葉が極めて、現代的に、リアルではないでしょうか。「利をむさぼり(13節)」が妙に、重く響きます。

 現代日本の価値観の問題は根本的には「利をむさぼる」ことではないでしょうか。

「お金が大事」で「命のことは二の次」だというような、権力を持つ者の価値観がまかり通るように感じられる昨今です。

 政府の「新エネルギー政策」は「原子力」をベースにしたものとなっています。「原子力」は根本的に核放射能廃棄物の処理が出来ません。「命」と「核」はその意味で矛盾します。原子力エネルギーで潤う「お金」に群がる人が「身分の低い者から高い者に至るまで(13節)」その政策を支持している限り「命」は危険に晒され続けます。

 福島第一原発のメルトダウンで、もうあの土地には居住出来ない人々の苦悩を共有しないで、棄民となってゆくのを知らんふりをすることは、苦難の中にある者からみれば「知らんふりの暴力」です。

 沖縄に関しては『シランフーナー(知らんふり)の暴力』(知念ウシ著 2013 未来社)という本があります。

 エレミヤは、当時のユダ王国の中で、神の言葉を抱いて(預って)、「命」の方に、生涯をかけるのです。

 今、私たちがエレミヤを学ぶということは大変なことです。しかし、聖書の中のエレミヤの言葉は、今の日本に警鐘を鳴らしていることを感じ取ってゆきたいと思います。

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