今の時代を生きるということ – 目を覚ましていなさい

目を覚ましていなさい。
マルコ福音書 13章33節

あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。もうこれでいい。時がきた。
マルコ福音書 14章41節

1 、「生きるということ」
人間は関係存在である。人は「神」との関係で生き、生かされている。聖書は、神との関係の歴史を語っている書物である。旧約聖書では、人間(イスラエル民族)の神に対する背信の歴史が綴られている。新約聖書はその歴史の中に神が自ら「人となりて、イエスの姿で」神自らを示したこと(啓示)、人間(教会)はその出来事にどう応答したのかが、文学(福音書)、歴史、書簡(教義)の形で描かれている。

後、教父時代(1-8世紀)の中頃、神を「三位一体」と表現した(上手な表現である)。「父・子・聖霊なる神」は今も讃美歌の頒栄で、歌われている。父(創造者)との関係は、創り主への信仰と表現される(創世記 2:7 「命の息を吹き入れられた」、詩編 90:3 「人の子よ、帰れ」)。

子なる神イエスとの関係は、歴史を生きる者への招きとして表現される(マル
コ 8:34 「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」)。

聖霊なる神との関係は、今を生きる者への弁護者(助け主:口語)として表現されている(ヨハネ14:16 「父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる」)。

今朝「関係、そしてその自覚」の説教で述べた第二の流れの関係は、神との関係が根拠になっていると信じて生きるのがキリスト者である。

生かされていると表現した方がよい。ゲッセマネで苦悩するイエスの傍らで、弟子たちは「目を覚ましている」ことが出来なかった。「もうそれでよかろう」(支払済み)の言葉から、弟子(人間)のダメさ加減と、それでもなお生かされている者が改めて、「目を覚ましていなさい」との言葉をかけられる存在であることに、「恵み」を覚えていきたい。

2 、「今の時代」とは何か
それは、人間を第一の流れに巻き込む強力な力の働いている時代である。現代日本という限定を付けて、5 つの問題にそれを捉えてみたい。

エネルギー問題
政府はエネルギーの基本計画を「核エネルギーをベースにする」(2014/4/11) と決めた。「核のごみ、行き場ない」(東京新聞 10/4)との警鐘は識者・民衆の叫びである。ドイツは脱原発に踏み切った。「命か金か」を象徴している今の時代の問題である。脱原発のキリスト者の運動にはCNFE「原発体制を問うキリスト者ネットワーク」がある。今は川内原発再稼働を巡って民衆の織烈な戦いが進められている(9/18 7500人のデモ、鹿児島市)。日本学術会議は「待った」の意見を表明(10/4)。

「会社が儲かれば、人間の命などどうでもいい。それが再稼働だ」
(鎌田慧 東京新聞 9/30)

憲法問題
日本は近代国家発足以来、富国強兵の政策を取り、第二次世界大戦で敗北し、占領軍主導ではあったが、自由民権運動の成果(鈴木安蔵など)を汲んだ憲法(民主・平和・基本的人権。政教分離)が制定された。特に、アメリカの日本占領政策を連合国に納得させるために出来た戦争放棄の9条は、1952年講和条約時、同時に締結された日米安保条約、特に地位協定によって骨抜きにされたが、積極的武力行使にまでは至っていなかった。しかしこの7月1日に安倍内閣の「集団的自衛権の行使容認」(2014/7/1)で、日本は海外で戦争可能な国に変質した。同時に武器産業が活気づいて、輸出が論議されている(10/4)。『上野千鶴子の選憲論』(2014 集英社)は「改憲」や「護憲」ではなく、「不戦」「非核」を明確にし、憲法を「国民」一人一人が選ぴ取る運動を提唱している。今、日本には「9条の会」が7500団体以上出来ている。それぞれが自分の考えた「憲法草案」を発表するまでに自覚的に意識を高めることがこれからの課題である。

沖縄のことを自分の事に
知念ウシさん(沖縄の評論家)は『シランフーナ(しらんふり)の暴力』 (2013 未来社)の中で、沖縄の苦悩にしらんふりをするヤマトンチュウ(本土の人)は、沖縄を植民地支配していると言っている。

沖縄の苦悩にしらんふりをするヤマトンチュウ(本土の人)は、沖縄を植民地支配している
知念ウシ『シランフリーナ(しらんふり)の暴力』

まず、沖縄の苦悩の歴史を学ぶことは、私たちの沖縄に関わる第一歩である。日本基督教団は沖縄キリスト教団と合同した(1969)が、それは合併・吸収の「本土化」だった。それを反省、是正する作業を「日本基督教団と沖縄キリスト教団との“合同の捉えなおし” 」として、取り組んできた(岩井はその最初の特設委員会の委員長)。しかし、「日本基督教団戦争責任告白」(拙著『兵士である前に人間であれ』p.131 以下)を認めない人達が、教団政治の執行部を握ってから、その作業を放棄してしまった。理由は、教会は純粋に「信仰告白」団体で、社会のことに関わるのは、教会の本来の役目ではないという信仰理解に立つゆえである。沖縄教区は「教団とは当分距離をおく」立場をとっている。教会の任務は、まず伝道が第一であるとの立場に対して、沖縄の教会は沖縄の苦悩に連帯することだと言う。「 それ行け伝道」(山北前教団議長)という場合、「イエス・キリストの十字架の贖いの福音」を信じて信徒になるように導くことのみが教会の役目になる。このことは間違いではない。しかし、そこだけを強調すると、教会は一つの「観念集団」になる。「贖い」が「隣人、世の人々」の「罪」(社会的悪や差別の根本)を償い担う生き方へと実践的に展開しないと、生きてこない。伝道は、隣人への責任をも含めた働きであり、それは神ご自身の働きがすでにあり、その「神の働き(ミッシオン・宣教) に加わる働きとして捉えることが、大事である。これを「ミッシオ・デイ(神の宣教)」の神学という。沖縄へのかかわりとして有志が「沖縄から米軍基地撤去を求め、”合同のとらえなおし”をすすめる連絡会」(代表:岩井)を立ち上げ、取り組んでいる。沖縄(国土全体の0.6%の面積)に日本の米軍基地の74%が集中している。今、辺野古では、普天間基地移設代替(1995年の少女暴行事件が発火点となった)として、新基地建設が強行(7/20)された。以降連日抗議活動が続いている。沖縄とフクシマの構造的差別の類似性を指摘する人(高橋哲哉ほか)がいる。過疎地への経済成長差別を押しつける構造の根は、米国に依存する政治・経済の構造にあると指摘し、米国が崩壊しない限り沖縄の苦悩は続くと言った人がいるが名言だ。

「言論の自由」に圧力が
さいたま市で「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」の句が公民館月報への掲載を拒否された(東京新聞 7/30) 。調布市が市民団体の主催する憲法関連のイベントへの後援を拒否した(同10/4)。ヘイトスピーチ(差別・嫌悪扇動表現)、排除の論理が増加(売国、反日、売国奴) (同10/3) 。地域、職場、市民活動で、圧力に屈しない民衆の発想力、言論力がまし加わる活動への参加が重きを増している。

格差差別と貧困の問題
生活保護費の切り下げ(2013/8)、貧困率(平均所得の半分を下回る人、現在16.1%)の上昇で子供の教育面に影響が出ている(同10/1)。 65才以上の介護保険料の滞納増加(同10/1)。

これが「今の時代」である 。

一日修養会 発題講演  2014/10/12 於単立明治学院教会


(サイト追記)この後、気づきや応答の分かち合いを始める。
本文中の「第一の流れ、第二の流れ」については「礼拝説教」をご覧ください。