1973年12月30日 岩国教会週報
「先週(クリスマス)説教より」マタイ2:1-3、ヨハネ3:16-17
(岩国教会牧師8年目、健作さん40歳)
ひとり子を賜(たま)わったほどに、この世を愛して下さった。(ヨハネ3:16)
愛と恐れとは対極をなす。「愛には恐れがない」(ヨハネ第一4:18)とある如く、恐れのあるうちは、まだ愛にはほど遠いと思わねばならない。マタイ福音書の画くイエス誕生の物語で、なぜヘロデ王はあんなにまで恐れたのか。それは恐れというものが、自分中心、自己保身、権威主義に影の如く寄り添うものであることを示している。イエスの誕生は、そのようなヘロデ的なものを根本から揺るがすものであった。恐れの根源を撃つ愛の出現であった。しかし、ここで恐れの根本を撃つ愛の性格をみつめねばならない。それは「ひとり子を賜わった」(ヨハネ3:16)という重さをもつ。「賜(たまわ)る」という語には二つの面がある。一つは無償性、もう一つは自分を捨てる(マルコ10:45参照)こと。この二つ無くしては、愛は恐れには勝たないであろう。椎名麟三の小説『ある献身』にある如く、愛は相手を不安にさせるようなものとして存在する。古い体質(自己中心)を揺さぶる形で存在する。愛は迫るものであるから不安を生じさせる。しかし、その不安が底知れない不安ではないことにクリスマスの告知がある。恐れを愛へと導く根拠が置かれたことの告知がある。
(1973年12月23日 クリスマス礼拝 岩井健作)


