イエスと青年(1973)

1973年9月30日 岩国教会週報
「本日の説教より」マタイ19:18-22

(岩国教会牧師8年目、健作さん40歳)

 この物語の登場人物を「青年」と制限づけたのは、マタイなりの考察に基づくものだろう。原型のマルコはただ「ひとりの人」(マルコ10:17)「財産のある者」(マルコ10:23)とだけしか言っていない。他方で、ルカは「大金持ちの役人」という設定(悪役)に仕立ててしまっている。

 彼の「永遠の生命」の求め方は、ひどく身勝手である。資産あればこそ成り立っている自分の生活の足元の問題を考え直してみるということもしないし、自分の周りの人たちのこともあまり気にしないで、ただ一人、あるべきはずの永遠の命を、自分一人の勝手な仕方で求めている。それでもなお、諦念の道を歩くでもなく、現状肯定主義者に堕するでもなく、苦悩して途上を歩む人間への温かさが「青年」という呼び方に滲んでいる。たとえ未熟であっても、青年であることを失いたくない。だが、イエスは彼に向かって、永遠の生命という生の充実は、自分の足元を批判的に問い直すことなしに、また自分だけではなく、他の人と共同して生きることを抜きにしてはあり得ないことを示す。「持ち物を売り払い」(マタイ19:21)とは、知らないうちに自分を安住させる根拠となっているもの(この場合は資産)への批判的関わりであり「貧しい人々に施しなさい」(マタイ19:21)は自分にとっては価値を持たないと一見考えられる人々との共生である。そして「わたしに従ってきなさい」(マタイ19:21)とは、この二つを観念的に先取りしない歩み出しへの促しである。

 自己批判(否定)原理と共同原理を持っている思想は他にもあろう。だが、どこまでそれが真実なものとなるか、その答えをイエスに預けて、歩み出すところに信仰の出発がある。

(1973年9月30日 岩国教会 岩井健作)


BOX-1. 岩国教会所蔵史料

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