1973年10月7日 世界聖餐日 岩国教会週報
「10月3日 家庭集会より」創世記18章
(岩国教会牧師8年目、健作さん40歳)
創世記18章を読む(於家庭集会)。著者(J典)の論旨は「主にとって不可能なことがありましょうか」(14節)にある。信仰の父と呼ばれるアブラハムとその妻サラは、主の約束を信じ、子が与えられることを切に待ち望んだ。しかし、その期待のあまり、神の約束を自分たちの理解や計画、自分たちが思い描く結果の中へと引き寄せ、自らの手で実現できるものと取り違えてしまった。サラは女奴隷であったハガルをアブラハムの側室とし、イシマエルを子としてもうけた。しかし主の約束は、人が"笑う"出来事(老いた二人の間にイサク="笑う"が与えられた)を通して実現された。「来年の春…サラには男の子が生まれている」(14節)という主の宣告の前に、サラはふと主への畏れを感じていた。サラは恐れて「わたしは笑いません」(15節)と打ち消す。サラの信仰の失敗への気づきである。「いや、あなたは笑いました」(15節)と主は迫る。だが、サラの失言の取り消しを待つことなく、この箇所は終わる。自己批判、自己否定、悔い改めは、奥深いところでは本人にのみ真実が帰せられるものであって、外に現れた姿だけでは測ることができない。サラもまた、その後の歩みにおいて、主の前に真実に生きることのみが、彼女の救いであっただろう。
(1973年10月3日 家庭集会 岩井健作)


