1970年10月25日 宗教改革記念日
岩国教会週報「当日説教より」マルコ2:18-22
(岩国教会牧師5年目、健作さん37歳)
真新しい布ぎれを、古い着物に縫いつけはしない。(マルコ2:21)
「真新しい(布)」という言葉は、原意は「まだ晒していない(布)」「洗ったりして布目を密にしてない(布)」の意である。続くぶどう酒の譬えもそうであるように、まだ生成の過程にあるものが、その生命力のゆえに既成のものを破壊してしまうことに、この箇所の強調点は置かれている。前後の文脈から考えると、マルコの著者は、福音に生きる者は既成の枠組みを金科玉条としていく必要のないこと(断食問題、安息日問題等)を示し、彼の周りのある人々を批判することによって、イエスの福音を示している。
かつてルターは「人はさまざまに教会制度を変革しようとするが、自分はカトリシズムの神学そのものに攻撃の刃を向けたのだ」と語ったという。これは古き原理の粉砕であって「晒していない布」の如きエネルギーを持った(ルターの信仰義認論は、ドイツでの農民戦争の抵抗運動・蜂起にまで展開した)。だが、ルターその人は、彼の改革を「神学そのもの」という原理に限定したことによって、この段階では農民に対する弾圧の側に廻った(岩波講座・世界歴史14参照)。彼の改革の意義と限界がここにある。そして改革の精神はカルヴァンに継承される。
「晒してない布」の持つエネルギーは、福音に生きる者の生命力として、自己の在り方を示している。このエネルギーそのもの(借り物でない自分)に忠実であろうとする生き方が、生成の過程にあるということである。古いものはそこでは自ずと破られてゆく。古いものを破る力がもしそこから出ているならば、もっと勇気を持ってよい。ルターは両面で歴史の教訓を示している。
(1970年10月25日 岩国教会 岩井健作)


