隠された恵(2010 礼拝説教・ルカ・川和教会)

2010.2.14、川和教会、降誕後 ⑧
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(明治学院教会牧師5年目、牧会51年目、健作さん76歳)

ルカによる福音書 13:18-24

”また言われた。「神の国を何にたとえようか。パン種に似ている。女がこれを取って3サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」”(ルカによる福音書 13章20-21節、新共同訳)

1.新約聖書の福音書の中にはイエスの譬え話が沢山集められている。

「イエスはたとえでいろいろと教えられた」(マルコ 4:2)と記されている。

 その中には「例え話」(良いサマリヤ人、ぶどう園の労働者、放蕩息子)というお話になったものもある。

 しかし、もっと短い「隠喩・暗喩(メタファー)」が多い。

 隠喩は情報よりもイメージを与える。(例えば「パンダ」というニックネーム)

 イエスの「パン種」の譬えは隠喩。「パン」の隠喩から「神の国」のイメージが与えられる。

2.イメージを抱くことができる者として信頼されていることをまず喜ぼう。

 イエスは聴く者の生活を丸ごと包み込む。

 農民が種を蒔き、主婦がパンを焼く生活を。

 イエスのお話は、知識情報(パンの知識)ではない。

 膨らむパンが与えるイメージ(象徴)である。

「神の国を何に例えようか」”What shall I compare the kingdom of God to?”

 主語はイエスご自身である。

 イエス(神の国)が私たちの経験の中に入ってくる。

 私たちが特別な宗教的真理の世界に入るのではない。

 日常性から抜け出して、宗教の教えや教義の世界に入るのではない。

 もちろん、それを自分流(パウロ流)に説明することはできる。

 例えば「神を愛する者たち、つまりご計画に従って召されたものたちは、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」(ローマ 8:28)というように。

 パンを焼くという日常の中に「万事が益となる」という物語の世界に目を開かせる扉がある。

3.譬えには「3サトンの粉」とある。

 聖書の付属「度量衡」によると(1サトン=12.8リットル)40キログラム位だ。普通の家庭での量をはるかに超える。大きな、重量感のあるイメージだ。日常の常識を超える大きな幻がそこにはある。

 例えば、明治学院の創設者ヘボンの働きを見るととてつもなく大きい。「1860年に始められたクララの英語塾は後ヘボン塾になり、今日の明治学院、フェリス女学院に繋がる一粒の麦となった。」(『ヘボンの生涯』中島耕二)。

4.「パン種を……粉に混ぜると(mixed)」(13:20)の「混ぜる」は「隠す」(エンクリュプトウ)の意味。

「神の国」は隠された仕方でやってくる。

 パン種は、粉の中のどこにあるのか分からない。そこで生地全体に浸透して、抑えがたい力を発揮する。

 神の力が隠されていて、生きて働いていると考えただけで、大きな希望を与えられる。

5.「やがて全体が膨れる」(13:21)とある。

「神の国」は一つの定義ではない。定義は固定的だが、「神の国」(イエスの父なる神との関わりに生きること、つまり「神の国」(支配)に生きること)は、全体が膨らむ過程(プロセス)である。

 イエスは「神の国」について「教え」たのではない。

 自らがその中に生きる「物語」を語った。

 観念の思い込みに引き入れたのではなく、私たちがその「物語」の一部になって、つまりその物語の担い手になり、語り手に組み入れられて、生きるように招いたのだ。

 その物語の中で成熟して生きるように招いているのだ。

 詩編34編の言葉を味わい終わりたい。

 味わい、見よ、主の恵み深さを。
 いかに幸いなことか、御もとに身を寄せる人は。
 (詩編 34:9、新共同訳)

6.祈り

 私たちの日常の些細な、綿々と続く生活に隠された恵みを味わう喜びを、今日から始まる日々にお与えください。

 主の御名によって祈ります。アーメン。


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