神はリズムを与えたもう(2001 頌栄短大)

2001年4月30日(月)頌栄保育学院

(神戸教会牧師23年、牧会44年、頌栄保育学院理事、健作さん67歳)

創世記 1:1-5

 ”はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。神は「光あれ」と言われた。すると光があった。神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。神は光を昼となづけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。”(創世記 1:1-5、口語訳)


 皆さん、頌栄(短期大学)に入学されて、初めて出会ったものが沢山あったと思います。

 この学校ならではというものの一つに、今朝ご一緒に守っている礼拝があります。

 毎週決まった時間に礼拝を守るということは、この学校が持っている一つの《リズム》だと思います。

 皆さんの多くは、聖書という本にも初めて出会った人が多いと思います。

 さて、その聖書の第1ページを今朝は読んで戴きました。ここには「初めに神は天地を創造された」という言葉で始まる「天地創造の物語」が記されています。

 これは現代人が考えているような、宇宙や世界がどうして出来たかという世界の成り立ちを詮索している科学の世界の物語ではありません。

 昔からある、バビロニアの神話を枠組みとして用いながら、聖書を生み出したヘブル人たちが、世界とか宇宙とかをどのように考えていたか、という考え方を表している物語です。

 5節の終わりを見て下さい。「夕べがあり、朝があった」という言葉があります。とても良い言葉です。

 聖書の第1ページを書いた人は、「神様」という方はこの世界に《朝と夕べ・昼と夜》という繰り返しの《リズム》をお与え下さった方なのだ、という考えを言い表しているのです。

 今日は触れませんが、この天地創造のお話は、神様が六日働いて天地万物を完成されて七日目を安息日として休んだ、というお話が続いています。

 一週間のリズムが盛り込まれたお話になっています。

 一日にリズムがあり、一週間にリズムがあり、私達の世界にはリズムがある、これが、聖書の最初のお話です。

 では、リズムを失った生活というものはどうなるでしょうか?


 神戸のある大きな病院の小児科の先生に来ていただいて、幼稚園の父母の会の講演をして戴いたことがあります。

 その小児科の先生は、その時、たった一つの事を、手を変え品を変えてお話し下さいました。

 「子供は9時までに寝かせて下さい」ということです。

 その小児科の先生は、ご自分の外来診察室で、子供を見ていた、3割から4割は小児科の病気だけれども、あとの6割から7割は、子供が生活のリズムを狂わしていることから来る精神的、身体的な訴えだとおっしゃっていました。

 そこで、小児科医は「診察室に閉じこもっていては駄目だ」と子育てをしているお母さんのいる、あらゆる所に出掛けて行って、お話しをしなければ子供が駄目になってしまう、と考えられたのだそうです。

 私たちの地域の幼稚園にも快く来て下さいました。

 子供は、生まれながら、生物が持っている生活のリズムを持っているというのがその先生のお考えです。

 夜は9時までに寝て、朝は気持ちよく起きる。これが出来れば、食事・排泄・運動の基本が整う。

 この基礎がないと、子供は健康が精神的・身体的に狂ってしまうというのです。

 幼稚園や保育所の遊びの生活も生き生きしてこない。

 だから、大人の都合がどうであれ、子供は9時には寝かせる生活を作り出して欲しいというのです。

 大人の生活は24時間営業のコンビニはあるし、テレビは遅くまでやっているし、忙しい大人は、夜まで働いているけれども、そこでは、朝と夕べ、昼と夜のリズムが崩れてしまっているというのです。

 赤ちゃんが「いないいないバー」の繰り返しに喜んだり、3歳児の好きな絵本『大きなかぶ』は「うんとこしょ、どっこいしょ、うんとこしょ、どっこいしょ」というリズムと共にお話がクライマックスに高まっていきます。

 それと同じように、子供にとって、生活のリズムというものがあります。

 そのリズムの延長の上に、朝は幼稚園や保育所に元気で来て、夕方はお母さんの懐に帰っていくというリズムが遊びの生活の基礎になっているのです。

 幼稚園の門に朝立っていて、子供がお母さんの手から抜け出て、ころがりこむように「園長先生おはよう!」と言ってくれたらしめたものです。

 そうして、一日いろいろ緊張して、幼稚園が終わって、お母さんの胸の中に帰っていくというリズムが獲得出来たら幼稚園の生活は順調なのです。

 神様は、幼な子をリズムの中で育てて下さるのだ、ということをしみじみ感じる一時です。

 今日歌った讚美歌は、昔から、子供と共に大変よく歌われてきた讚美歌です。その一節にはこうあります。

「うるわしき朝も、静かなる夜も、食べもの着物も、くださる神さま」
(1954年版 讃美歌454番)

 ここには、朝も夜も守って下さる神様への感謝がでています。

 私は、中学生の頃、田舎で過ごしました。

 林や、畑だけがあって、町からは遠い遠いところでした。

 そこはまだ電灯線が引けてなくて、夜になるとランプの生活でした。

 夕方、陽が西の山に沈むと辺りは少しずつ暗くなります。やがて、星が少しずつ輝き始めます。

 そうしてやがて満天に宝石をちりばめたように、そして天から不思議な響きが聞こえてくるような夜を迎えます。

 そうして夜の眠りを与えられると、朝、東の空が白んできます。そこの土地の名前は「東野」といいました。

 実は、親の生活は経済的には貧しかったのですが、夕べがあり朝があるという、神様の与えて下さった一日のリズム、季節のリズムを、沢山感じて青年期を過ごしました。

 聖書の第1ページを開けると、その時のリズムがよみがえってきます。

 この学校(頌栄短期大学)は、A.L.ハウ先生によって創立されました。ハウ先生は、とても活動的な方でした。しかし、また静かに祈る方でした。活動と祈りというリズムを持たれた方でした。

 この学校には、そのような、神の与えるリズムがあります。

 皆さんは、そのリズムを感じ取り、応答する感性を与られておられると思います。

 それに気が付いてそれを大事にするようにして下さるようにお願いします。

 お祈りをいたします。


頌栄短期大学チャペルメッセージ(1986-2003)

error: Content is protected !!