『兵士である前に人間であれ-反基地・戦争責任・教会-』岩井健作 (2014 ラキネット出版)

2014.7.20 発行


(明治学院教会牧師、80歳)

 兵士である前に人間であったら、軍隊は成り立たない。

 だから徹底的に弾圧された。

 しかし、ベトナム戦争時、岩国では「人間であれ」と自らに言い聞かせて米軍海兵隊兵士が反戦活動をした。

 私は当時、基地の街で牧師をしていて、彼らの活動にお付き合いをした。

 その当時のエッセイが第一部。

 40年を経た今、読んでみて意外と新鮮なのは、政府が集団的自衛権行使容認に踏み切った状況だからである。

「国家」と最後に対峙するのは裸の「人間の魂」である。

 戦後キリスト教を生きてきて、そこを突き詰めるためにも「戦争責任」「沖縄との関わり」を第二部で論じた。

 この本で隠れた仲間と出会えればとの思いを深くする。


はじめに

あとがき

イエスの社会への目 − 経済的構造へのまなざし(2014 聖書の集い・イエスの生涯から ⑦)

マタイによる福音書 20章1-16節 ”「ぶどう園の労働者」のたとえ
並行箇所 なし(マタイ独自資料)

2014.6.11、湘南とつかYMCA “やさしく学ぶ聖書の集い”
「現代社会に生きる聖書の言葉」第77回、「新約聖書 イエスの生涯から」⑦

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人間であれ(2002 保育)

『キリスト教保育』2002/10 巻頭言 キリスト教保育連盟発行

 かつて、頌栄保育学院の図書館書庫で、倉橋惣三の太平洋戦争開戦時の文章に出合って愕然としたことがある。幼児を戦争に役立てるための「保育」に就いて朗々と語られている”美文”である。倉橋といえば『幼稚園真諦』など子供の持つ絶対的尊さを説いて日本の保育史に貢献した第一級の人である。内村鑑三の影響を受け、聖書の幼児観を包含した実践者である事を考えれば、広い意味でキリスト教保育にも関わりのある人である。その倉橋が何故に、との疑念を同学院副学長でありA.L.ハウの研究家でもあった高野勝夫氏にぶつけてみた。

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