人間であれ

『キリスト教保育』2002/10 巻頭言 キリスト教保育連盟発行

かつて、頌栄保育学院の図書館書庫で、倉橋惣三の太平洋戦争開戦時の文章に出合って愕然としたことがある。幼児を戦争に役立てるための「保育」に就いて朗々と語られている”美文”である。倉橋といえば『幼稚園真諦』など子供の持つ絶対的尊さを説いて日本の保育史に貢献した第一級の人である。内村鑑三の影響を受け、聖書の幼児観を包含した実践者である事を考えれば、広い意味でキリスト教保育にも関わりのある人である。その倉橋が何故に、との疑念を同学院副学長でありA.L.ハウの研究家でもあった高野勝夫氏にぶつけてみた。

氏は当時、国立音楽大学教授の下山田裕彦氏を紹介して下さった。同氏から贈られた「倉橋惣三の保育思想の研究」「倉橋惣三の保育思想 – 『社会的性格』をめぐって」の論文を読み、同氏の倉橋の変節への論及の視点に教えられることが多かった。当時、私は戦時下の知識人の戦争協力や戦争責任に関心を持ち、特に、キリスト教、なかんずく、日本基督教団に就いては、その「戦争責任」の実態をよく知り、それを繰り返さないために、自分の信仰や思想のありようをどうすればよいのかに、心を悩ましていた。

そして今。国会に上程されている「有事(戦争)立法」の反対運動に、身を置きつつ、何故このような戦争への「国民」総動員法案が、ほとんど抵抗勢力なしに、押し切られていくのか、(今国会では種々な政治的理由でたとえ成立が延びたとしても)その風土への憂いは尽きない。

この春、私は幼児教育の四十二年間の現場を離れた。「倉橋」ではないが「子どもに直接ぶつかって」与えられた躍動する命の関わりが、走馬灯のように心を巡る。

小学校に行って、人権標語の募集に、さらっと

「遊ぶのだいすき。笑うのだいすき。みんなだいすき。」

と書いて、入賞したAちゃんを、お母さんは、「幼稚園の毎日の生活を言っただけですのにね」と屈託なく笑っていた。その人権標語を募集する「教育行政」は、同時に一方で、「日の丸、君が代」を「学習指導要領」をたてに強力に指導(強制)する。

何故か、それは「子ども」や「人間」であるより前に「国家的人材たれ」との精神を教育の基軸としたいためである。しかし、私たちは、

はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。

マルコ福音書 10章15節

との聖書の幼児観に立つキリスト教保育を苗床(なえどこ)として育った子どもたちの、前途の暗雲を憂う感性をもった保育者でありたい。

キリスト教保育に携わる者は、国家や歴史や社会あるいは世界の現状に対する視野を欠いたままで、「部分専門屋」になってはならないであろう。

倉橋ほどに変節しないとしても、変節を強いる風潮や状況に対し、「否」を言うだけの人間でありたい。

保育者、幼児教育専門家であるより前に、人間であれ、と言いたい。

さて、私は、この夏から、鎌倉市の住人になった。市役所に住民登録に出かけたら駐車場に古ぼけたワゴン車があり、車上に「憲法の平和・民主主義を守り、国際社会に平和的に貢献を」と色あせたペンキの宣伝板が載っていた。多分労働組合の車なのだろう。色あせているところが、時の心象でもあった。

パレスチナやアフガニスタンや貧しいアジアの子どもたちを「国際社会」という言葉の内実として捉えるならば、平和を情景や所与としてではなく、保育の場で創造や意志としていかなければならないであろう。