自己紹介(2002 川和教会)

川和教会報「麦穂」No.12、2002年7月21日(日)発行

(健作さん68歳、2002年7月14日〜2004年3月:川和教会牧師代務者)

川和教会へようこそ

岩井健作牧師(川和教会牧師代務者)


 1933年生。父岩井文男が、三井銀行員を辞めて、賀川豊彦の薦めで昭和初期農村セツルメント活動をしていた時代の岐阜県関市が出生地。

 農村伝道の行き詰まりで東京在住。父の東京での開拓伝道の日曜学校を少年時代に経験。

 戦争末期、群馬の父の故郷で疎開生活、甘楽教会日曜学校に出席。その後、新潟に集団疎開。6年生で敗戦を迎える。

 都立十中に入るが、父の農村開拓伝道に従い、岐阜県坂祝村に移住、1946年、坂祝教会(現、中部教区 中濃教会)にて受洗。中学・高校生時代を農村伝道の生活ぐるみの経験をする。

 ランプの生活、さつま芋と麦づくり。ヤギ、鶏、ミツバチを飼う生活、農村の日曜学校、都市との経済格差。この頃の経験が、後の思想、神学の思考の基礎となる。

 兄弟は男4人女1人。それぞれ現在教団の教会で信仰生活を続けている

 本人は次男。慕っていた高校の社会科教師がレッドパージで追われていく様を見て政治に目覚める。

 同志社大学神学部に進学。破防法、警職法反対運動に携わる。京都教会、浪花教会、神戸教会にて神学生実習。

 1958年、大学院神学研究科聖書学専攻を終え、小林溢子と結婚。溢子は恵泉女学園卒業。小林の両親は、札幌独立教会、宮崎清水町教会、香椎教会、鎌倉雪ノ下教会で生活。兄弟姉妹7人。それぞれ教団の教会信徒として生活。

 同志社卒業後、広島流川教会(伝道師2年)、呉山手教会(5年)、岩国教会(13年)、神戸教会(24年)の牧師生活を務めて、2002年3月、日本基督教団 無任所教師として、溢子の亡き両親の後の鎌倉の家に居住予定。

 教区の活動は、西中国教区で20年。副議長、宣教研究会委員(共著『洗礼を受けるまで』『洗礼を受けてから』作成)。広島で被爆者運動を学ぶ。呉では職域伝道、自衛隊問題、岩国では、ベトナム戦争時、米軍基地における反戦活動、沖縄との連帯活動を学ぶ。アメリカ•キリスト教協議会(NCC USA)と協力して、米兵への牧会活動に、在日宣教師と連帯する。

 兵庫教区に移って24年、教区議長、教師部、教育部、在日大韓教会との協力委員会。部落解放委員会、阪神淡路大地震対策委員、常置委員など。教団では、いわゆる「戦争責任告白」(鈴木正久議長表明)の発議に参加、常議員、婦人専門委員、宣教委員、信仰職制委員、日本基督教団と沖縄キリスト教団との合同特設委員会委員長、阪神淡路大震災救援センター運営委員を務める。

 その他、現在、学校法人 頌栄学院(短大、専門学校、幼稚園)理事長。

 神戸では(社)神戸市私立幼稚園連盟理事、(財)兵庫県私立幼稚園教会理事、を今年まで務め、非学校法人立幼稚園の公費助成運動に携わる。

 市民運動では「とめよう戦争への道!百万人署名運動全国呼びかけ人」兵庫県連絡会世話人。

 著書『聖書を歴史的に読む』『地の基震い動く時』『近代日本と神戸教会』(共著)。

 子供、娘一人、孫三人、八王子市在住。趣味、スケッチ、山登り。

 よろしく。

 (川和教会報「麦穂」No.12 掲載)


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