第1版:書評『イエス 逆説の生涯』笠原芳光(春秋社 1999)

2003.2.4 執筆、掲載誌不明

(川和教会代務者牧師 69歳)

 出版当初、芹沢俊介(評論家)、佐々木幹郎(詩人)、佐藤研 (聖書学者)諸氏などのすぐれた書評が続いた。あれ以来もう4年に届こうというのに、キリスト教界は、私を含めて、この本に対して沈黙をしてきた。側聞すれば、キリスト者の間でも密かに読まれているという。沈黙は幅広い意味を包含している。「イエスはキリストではない」の宣言の言葉で始まるこの書の思想は「教会」では危険である、黙殺するに越したことはないと、多くの教界人は片目で見るがゆえの沈黙である。スリリングで大胆な問題提起に共感はするが、自分の「キリスト教信仰理解」とどのように繋いだらよいのか、戸惑いを覚える、という人もあろう。筆者も緩やかではあるが、一応は正統的キリスト教信仰の枠を標榜しながら、「日本基督教団教師」を続けて来たものとして、しかも「教会共同体」の現場を抱えながら、笠原氏が、パウロ以後の原始キリスト教に徹底して否定的スタンスを投げ掛けることにどう対話するのか、戸惑いを覚え沈黙の流れに身をゆだねてきた。

 しかし、多分著者の意には反した文脈での取り上げ方ではあるが、現在の「日本基督教団」の主流派の思想的退廃を思うと、この真摯な「イエス」についての書物が多くの「信徒」に読まれることを心から願う。これを読んで戸惑いを覚えるのであれば、それはそれでよいことだと思う。

 著者は、第二次大戦の直後、都市の廃墟の中で一冊の聖書に出会う。それがイエスとの最初の邂逅である。福音書を通じイエスの言動に惹かれ、「信」ともいうべき思いを抱くにいたった(225頁)。受洗。神学校。日本基督教団牧師。しかし、イエスの背景に存在する思想、即ち原始キリスト教のイエス理解に違和感を覚え、思想的には牧師・赤岩栄氏の影響を受け、実践的には自ら開拓した「日本キリスト教団 神戸森伝道所」を閉鎖、聖書を古典として読む森集会を継続主宰し、爾来五十数年、イエスとはなにかを自問自答し続けてきた。傍ら大学で宗教思想史の研究に身を置きながら、イエスをその「思想史」の方法で明らかにすることに腐心してきた。その集大成がこの書物である。それは、神学、聖書学、文学、の立場を横断し、それぞれを批判的に総合する方法だという(23頁)。そこには、著者の文学、哲学、宗教、聖書学の広汎な見識が行き交い、自己との関わりにおけるイエスの輪郭を鮮明にしていく。この書物の参考文献には思想史を網羅する古今東西86冊があがっていて、縦横無尽に用いられており著者の方法の奥行きを裏付けている。

 ところで、「日本基督教団」の現状とはなにか。それは教義としての「イエスはキリストである」ことを核心とする「信仰告白」を、宗教集団である教団を守る為の共同体原理として作用させ、本来逆説的に無限に開かれている人間の繋がりを遮断し、近々は「第33回総会」において、その繋がりの社会的、歴史的、現実的な努力の絆であった「靖国・天皇制問題」「性差別問題」「沖縄合同とらえなおし」を教会政治的に切り捨てた。そのようなことが平気で出来る素地に唖然としている。少し乱暴な言い方ではあるが、私はその根源は教義としての「イエスはキリストである」とのあの思考の定式に固着することであると憂えている。そのような文脈で「イエスはキリストではない」という問題提起を受け止めることは、宗教観念に堕する危険と常に紙一重である「宗教者の宗教性」(他の言葉でも表現し得る)が問われることではないか、と筆者は受け取る。

 本書の内容は、次のように構成されている。

序.方法:イエスはキリストか
1.誕生:時代と風土
2.生家:父母との関係
3.発心:挫折の問題
4.入団:洗礼者ヨハネ
5.自立:不定形の集団
6.言説:譬えという方法
7.行為:奇跡とはなにか
8.思想:離脱ということ
9.最後:逆説の生死
結.総括:イエスは《人間》である

 特にユニークなのは、父を早く亡くし、父への思慕から後に神を「おやじ」と呼び、母との確執を抱え家庭から「離脱」をしたことが、後々の洗礼者ヨハネの集団からの「離脱」、さらには弟子集団からの「離脱」、最後には「神」からすらも「離脱」したというイエスの生涯の系譜に繋がっているという、著者独特の見解である。そして「離脱」をイエスの思想を捉えるキーワードと捉える。著者はイエスの存在形式を、「弁証法」でいう「正」「反」「合」ではなく、「脱」として捉える。そうして、マルコ15:34の「わが神。わが神。……」は神からも捨てられた絶命と捉え、この瞬間こそイエスが「神」からすらも「離脱」し生死の実相にまみえた刹那であると述べる。著者は親しい現代歌人・岡井隆の一首「詩歌などもはや救抜につながらぬからき地上をひとり行くわれは」を引用しつつ「いわゆる救済のないところに『それでよい』という声なき声の『大肯定』をきくことが真の救済である」(221頁)と、イエスの逆説の生涯を描き出す。教義・儀礼・組織としての「キリスト教」には、宗教が本来保持している逆説が薄れていることの指摘をこの本に感じるのは、筆者だけではあるまい。そのようなキリスト教の日常を深くえぐるように問うのがこの書物である。筆者は著者に比べればイエスの生を政治や社会の文脈により多くおいて見ていると、気がつかされながら、著者への応答はこれからも続けていきたいと思う。

(サイト記)参照
弱さにかかわる事柄を誇りましょう – 弱さの逆説
惜しみなく分け与え – 豊かさの逆説
土の器に宝を – 逆説による現実の突破
その他キーワード「逆説

▶️ 第2版:書評『イエス 逆説の生涯』笠原芳光(春秋社 1999)

▶️ ”逆説”(キーワード 別格)