土の器に宝を – 逆説による現実の突破

「現代社会に生きる聖書の言葉」
湘南とつかYMCA ”やさしく学ぶ聖書の集い”

第44回「新約聖書コリントの手紙とパウロ」⑤
コリントの信徒への手紙Ⅱ 4章7節-11節

1 、コリント第二の手紙は、パウロとコリントの教会との複雑な事情を反映している。第一の手紙を送った後、両者の関係は悪化し、コリントには平然とパウロの使徒性(イエスが選んだ弟子)をそしる者たちが現れた。此に対してパウロは厳重な警告の手紙を送ったが、効果がなかったので、テトスを派遣して善後策を講じさせた。教会はついに自己の非をさとって悔い改めた。テトスからこの報を受けたパウロは非常に喜び、コリントの教会に対する自分の内面の気持ちの真実を知らせる手紙を書いた。それにさらにエルサレム教会への寄付金募集の依頼を含めた。手紙は、二、三あるいは四つあったであろうと言われている。その主要な部分が編集されて、現在の形になったのが「コリント第二の手紙」といわれる。執筆の場所はマケドニア、時は55年前後といわれる。

2 、「第一の手紙」 は、貿易の港町、商業都市コリントの街の世俗的価値観と「イエス・キリストの十字架の福音」との価値観の落差にさらされて起こる、教会が直面している現実問題にパウロが指示を与えた内容であった。基本的には、共同体形成の価値観が、いわゆるギリシャ世界を支配していた世俗の、お金や権力や地位や家柄や学識によらないで、「愛」に基づかなければならない、それは神の選びによる無償の愛で、イエスの十字架の死にいたる生涯で示されたもので、あった、という内容であった。此に対して「第二の手紙」はユダヤ的伝統をもつエルサレム教会の権威の推薦状を傘にして、パウロの使徒としての正当性を攻撃する権威主義の指導者の介入によってコリント教会が初心の福音から逸脱したことに対する、パウロのある意味では、自己の実存を架けた、自己をさらけ出し、自己の信仰を表明し、反対者への批判(10章)を激しくおこない、血みどろの闘いを経て、「苦難と慰めの同時性」(1章)を体験し、和解へと向かった手紙である。一面大変難解と称されている手紙である。

3 、パウロは外部からの迫害、教会内部の中傷という試練に打ちひしがれつつ、なおそれゆえに福音の神髄に触れる有様を「わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています。イエスの命がこの体に現れるために、わたしたちは生きている問、絶えずイエスのために死にさらされています。死ぬはずのこの身にイエスの命が現れるために」(4:10-11)と逆説を語っている。これをさらに縮めて「このような宝を土の器に納めています」(4:7) と表現する。「土の器」という現実を、「土の器」こそ宝の所在なのだという逆説によって突破しているのである。ここでは、「土の器」という象徴が大切なことに注目しておきたい。

4 、コリントは紀元前7世紀ごろから、陶器の産地として有名なところであった。それは水やブドウ酒にの容れ物として、さらにはそこに描かれる芸術表現の作品として有名であった。しかし、パウロが「土の器」という時は素焼きの日常使う土器を意味した。そこには「土の器のかけらにすぎない」(イザヤ45:9) 、あるいは「造られたものと造ったもの(被創造者と創造者の関係、陶工と粘土)」(ローマ9:20)、さらには「土(アダーマ)の塵で人(アダム)を形づくり」(創世記2:7) などの聖書の持っている「土」 のイメージが盛り込まれている。パウロは「誇る必要があるなら、自分の弱さにかかわる事柄をほこりましょう」(11:30) 「弱さ以外に誇るつもりはありません」(12:5)と言っている。
なぜか。それは「私は弱いときにこそ強い」(12:10) という逆説を身につけていたからである。それはパウロの「十字架の神学」の根本である。

5 、「宝を土の器に」という言葉は現代的響きを持っている。行き詰まりを突破する力は、逆説を支えとするからである(急がぱ回れ。負けるが勝ち)。イエスの存在そのものが逆説であることに気が付いたならば、大きな慰めになるであろう。作家坂田寛夫さんの小説「土の器」は、母の闘病と死を扱ったものであるが、時代の中での生き方の重みを伝えている。信仰者は「土の器」にすぎないが、なお永遠なるものを示唆していることを描いた逆説が人々に感銘を与えたのであろう。第72回芥川賞受賞作品になっている。