”逆説”(キーワード ⓪ 別格)

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 健作さんのテキストにおいて、”逆説”はテキストを読み解くためのキーワードである。健作さんは、”逆説”が「パウロの言葉」を読み解くためのキーワードであるという。直接的「逆説」という表記も多いが、行間に”逆説を語る”ことも極めて多い。圧倒的である。

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 健作さん自身が、”逆説”の中身を巡って、笠原さんと対話をした記録の一つとして、「書評『イエス 逆説の生涯』」は重要なテキストである。改めてここで指摘しておきたい。

 同志社大学の学生時代から親交の篤かった「笠原芳光さん」の『イエス 逆説の生涯』(春秋社 1999)が出版されて4年、健作さんは書評を書いた。おそらく某出版社の書評欄に最終版は掲載されたものと想像するが、残念ながらそれは今手元にないので、本サイトに掲載しているのは、最終稿に至る前の版である。

▶️ 第1版:書評『イエス 逆説の生涯』笠原芳光(春秋社 1999)

▶️ 第2版:書評『イエス 逆説の生涯』笠原芳光(春秋社 1999)

 この原稿の執筆には相当に苦労されたようである。書き上げた気がしないような感想を述べておられた。それほど笠原さんの提出した『イエス 逆説の生涯』という問いは、4年経っても応答しきれない、広範で根源的な問いであったと受け止めることができよう。

 ”逆説”が根源的な問いであればあるほど、書き手は読者にあらかじめ何らかのメッセージを伝えておく責任を覚えるのであろう。

 笠原さんのように門前で率直にピシャッと書くやり方もある。「これまでのイエス観に共鳴し、あるいはそれによって救済を覚えている方々には、なにも申し上げることはない」(『イエス 逆説の生涯』227頁)。”逆説”の道はそれほど危険なのだ、良い子は近づかぬよう、という警告はその通りである。

 健作さんの場合は「見捨てない」というのが”逆説”を語る上での牧師としての覚悟だったように筆者は思う。

(本サイトは、入り口制限しませんし、読者に対してなんの読後の責任も負いません。m(._.)m)

 出版から15年、書評から10年、笠原さんは健作さんへの手紙の中で次のように書いている(2014年)。

「一貫して変わらないのが岩井さんの人生と存じます。私はかなり変化したと思います。」

 人生の何が変わり、何が変わらなかったのだろうか。

 健作さんは2014年、80歳まで「牧者」であり続けたこと、そのことを「現場で『世に仕える教会』『教会の体質改善』の牧会をするべく自分を釘づけして来た想いがある」と述懐している(▶️ 偲ぶ会へのメッセージ)。

 一方で、笠原さんは、主体的に教会外に語りかける道を選んだのではないか。教会内部で充足する教会員にあえて「これまでのイエス観に共鳴し、あるいはそれによって救済を覚えている方々には、なにも申し上げることはない」と宣言するのは、笠原さんの優しさゆえとしか筆者には思えない。

 健作さんの最初期のテキストはどうやら「指」誌上に残っているらしい(本人談)が、学生時代の健作さんと笠原さんが「指」誌上でどんなことを書いていたのか、発見できる日がはたして来るのかどうか。