悲しみを共に(1986 神戸女学院)

1986年6月18日(水)神戸女学院中高部 同和教育委員会
冊子 No.9(p.1-p.15) 所収(1987年12月25日発行)

(神戸教会牧師、健作さん52歳)
BOX-2. 個人所蔵史料(書籍等)

 おはようございます。今、ご紹介いただきましたように、私が牧師の仕事につかせていただいております教会は神戸教会と申します。神戸の元町を上がって少し西の所、阪急でいいますと高速神戸の花隈駅を降りて少し山側に上がったところにある教会です。ユトリロの絵を思わせるような美しい会堂が建っています。中に入りますと、ちょうどこの講堂を少し小さくしたような感じで、教会堂の両壁の高い窓の上には丸い窓があって、美しいステンドグラスが外の陽を、やわらかく会堂の中に流しております。神戸の山の手のこんな美しい教会で結婚式ができたらなぁ、と、そう思うのも無理はありません。よく、電話がかかってきます。「結婚式をしてほしい。」って、一日に何通もかかってきます。それから、若い二人が教会を訪ねて来ます。「この教会では、結婚式のことはどうなっているんでしょうか? 秋なんですけども、していただけませんか?」

 先日、朝日新聞をみていましたらば、先週の金曜日でしたか、「結婚式場に礼拝堂ブーム、ドレス着て、バージンロード二人で歩く、乙女心に、キュン。」とかいって、まあ、これをめあてに最近ホテルでチャペルを建てて、結婚式をやっております。風月堂でもこの新聞を見ますと、「ポートピア・コーべ・フーゲツドウ」、昨年9月、ポートアイランドにオープン、礼拝堂で約二百組が結ばれたとか。形式的にはキリスト教なのに、大半のカップルは仏滅の日を敬遠したそうです。

 それでも教会を訪ねて来る若いカップルは、ホテルの結婚式はどうも、何かやっぱり商売気があって…やはり、街の本当の教会で結婚式をしたい、と言うんです。「本当の教会で結婚式をしたい」。本当の教会ってのは何かなあ、と、こっちが考えてしまいます。電話の問い合わせの中にもおもしろいのもあって、ジーンと鳴りますから、出ますと「10月10日、あいてますか?」「は?」「そちらで結婚式したいんですけど」「あいてません」。ガチャン、とかいって、何か、式場と間違えてらっしゃる方もいるんですけど。きのうも二組の方が訪ねてきましたし、電話が一つありました。その電話の方は「私は神戸のキリスト教主義の学校を出た者なんだけれども、学生時代はチャペルにも出て、聖書も持ってます。教会で結婚式をしたい。でも、しばらく教会へ行っていないし、ホテルのチャペルでは、どうも、やっぱり時流に乗ってしまったようで、もう一つ精神的なものがないような気がするので、教会で挙げたい」。そう言って「それで秋にしたいんですけれども」。それで、私どもの教会では、どなたでも結婚式を挙げるというようなことはしておりません。教会の関係の方や、礼拝に出ていらっしゃる求道者の方でしたら相談に乗りますけれども、ってなことをお話し申し上げたんです。お出になった学校の宗教主任にご相談なさって、何処か適当な教会を紹介していただいたらいかがですか、ということで電話を切りました。結婚ということは本当に華やかなことで、皆さんも夢をもっておられるだろうと思います。その、結婚、華やかな結婚ですね、本当に人生の最高の時です。婚礼のことをドイツ語で「ホッホツァイト」といいますけれども「高い時」という意味ですね。本当に最高の時です。

 ところが、私はその喜びの結婚に、実はその喜びと同居して本当に深い悲しみがあるということを、つい数年前に知らされました。ある一人の若い女性から手紙をいただきました。「自分は教会で結婚式をしたいけれども、会ってもらえないだろうか」っていう牧師宛ての手紙でした。それで私はすぐご返事を出して「いついつお会いしましょう。ぜひ来て下さい」。それでその日に待っておりますと、そのお嬢さんがお一人で来られるのかと思っていましたら、相手の男性と、お嬢さんのお母さんと、叔母さんと、四人で来られました。「どうして教会で結婚式をお挙げになるんですか?」「前から憧れでした。教会の結婚式は誰でも出られるから、そして二人が神さまの前で誓約するってことは生涯にとって大切ですから」。てな、ごくありきたりのことを話しておられました。で、私は、どうしてクリスチャンでもない人が、普段教会に行ってもいない方が、どうして結婚のときだけ宗教的になって結婚式を教会でするのかってことがどうしても納得がいかないわけです。「どうしてですか?」って聞いたら、「いや、市内の教会に相談したんですけれども断られてしまったもんですから…何かこちらの教会だったら、ご相談に乗っていただけるということで参りました」。でも、どうしても、お話を聞いていても、何故、私共の教会でその方の結婚式を挙げなきゃいけないのかってことが、どうしても納得がいかないので、しばらくずっといろんなお話を聞いていました。何か心にひっかかる深いものがあるに違いないという、予感はしたんですけれども、分かりません。もう一時間近くお話をしているものですから、そろそろお話を切り上げなきゃいけないと思って、「私は大変心が鈍いもので、さっきからお話をお聞きしているんだけれども、どうして教会で結婚式をなさらなきゃいけないか、どうしても分からないんだけれども、何かもっと本当に、はっきり、おっしゃっていただけませんでしょうか」っていうふうに言いましたら、お母さんが、どっと崩れて、泣き出されました。そして「実はこの男性のほうの親が、この結婚に反対なんです」。そして涙を流した目をあげて、「私達のときも、二十数年前、そうでした。世の中は変わらないんですね」。私は自分の不明を恥じました。本当に一時間近くもですね、その四人の方とお話をしていて、自分の心が鈍いために、相手が婉曲に、教会で結婚式をしたいと言っている心が分からなかったんです。「ごめんなさい、本当に心の鈍さをおわびします。結婚式をいたしましょう」。そして男性のほうの親やご親類が反対しているけれども、もういっぺん家で、お父さんやお母さんに心から話してみてほしい、とお願いしました。実は、親戚会議が開かれて、この結婚には反対だ、結婚式をするなら親類は誰ひとり出ない、と決められたのだそうです。しかし二人は同じ職場で長年つきあい、愛しあって、ほんとに将来を誓いあったのです。どこかで二人の結婚にけじめをつけなきゃいけない、家庭をスタートさせなきゃいけない。相談に乗ってくれるのは教会しかない、そうして来られたわけです。そのことを必死になって、婉曲な言葉で訴えてるのに、そのことが分からなかった私は本当に自らを恥じました。そして、もし男性の方が、充分に説得できなければ僕も一緒に行こう、そしてお話ししてみよう。男性のほうのご家庭は教育者の家庭だそうです。ご親類には、教育者の方がたくさんいらして、同和教育の推進委員をされている先生も、その中にいらっしゃったそうです。「差別はいけない」。おそらくその先生は、学校で生徒さん達に、同和教育の時間にお話をされている方でしょう。しかし、ご自分の親族に、被差別部落出身者と結婚しようという、そういう人が出たときに、親族会議を開いて反対をするという…本当に悲しいことです。この場合は、自分達が教会で結婚式をする、本当に、神の前で祝福された結婚をするという、そのことを両親に訴え、そして一つ一つ差別を克服し、親を説得し、親戚を説得することができて、男性のほうのご親族も全部出て、本当に皆喜びをもって結婚式をすることができました。そして、そのご家庭は、今、子供さんが二人いて、神戸からはずいぶん離れた所に住まわっておられますけれども、近所の教会に出ておられます。このあいだ、奥さんから手紙をいただきました。

 「私達が結婚に際し悩みぬいた問題と同じことで、今、また悩みつつある若いカップルが身近にいます。彼、彼女を見ていると昔の自分達が思い出されます。日々の生活には何ら関係なく過ごしていますが、いざ結婚、就職…という人生の節目になると、まだまだ古い考えが残っているのをまざまざと見せつけられました。彼女に相談をされても、ああしなさい、こうしなさい、とは言えず、ただ黙って聞いてやっているだけです。彼女達の場合も根底にあるのは同じ問題でも、ケースバイケースで皆それぞれ違います。だから私達の歩んできた道を話しても、どうにもならないんじゃないだろうか、どう言ってあげたらいいのだろうかと悩んでしまうことがあります。今の私にできることは、答えはわからないけれども、一緒に悩んであげることだけです。若い者達がこの壁を一つ一つ打ち破っていかない限り、この古い考えは取り除かれないと思います。子供達の時代にも、悲しいけれどもおそらくまだ残っているだろうと思います。自分達で悩み、苦しみ、力強く前進してほしいと願ってやみません。またお会いできますことを楽しみにしています」。

 電話でお話しし、手紙を出して、どうかその若いカップルを励ましてほしい、一緒に悩んであげてほしい、ということを申しました。

 私の手元に一冊の本があります。『開け心が窓ならば – 差別反対大合唱』(読売新聞大阪社会部編 解放出版社 1984)という本。これは読売新聞に「窓」という欄を設けて、その時にいろいろな人生の出来事を千字ぐらいに綴って、皆さんが新聞を窓にして、そのコラムを窓にして、心のゆきかいを求めていく、そういう欄です。その「窓」に、一通の手紙が送られてきたというのが、この本が出来たきっかけであります。

 「窓」を開けて一年近く経った昭和55年12月24日、いつものように午前11時半ごろ、「窓」宛の手紙の束の中に、気にかかる一通がありました。ありふれた薄茶のハトロン紙のような封筒で、裏には住所も名前も書いてないのです。消印は大阪・高槻でした。

 「心の塩を贈りたい」 匿名
 乱れた心で書き綴りますので乱筆乱文お許し下さい。
 私は子どもの頃、一度引越しをしております。両親はそこをいつも「村」と言っていました。私は小さい頃から「村」と聞かされ慣れていた故か、それは単に都会と田舎という区別の「村」だと思っていました。でも成長するにつれて薄々はそれだけではないと思いつつ…。両親はそれを隠そうともせず、堂々と子どもたちに向かって「私ら村のもんは…」、「村の子は…」と言い続けたことで私は自分が部落の子だとは思えなかったのです。実際私はそんなことにも気づかずに育っていました。本人が気づいていないのですから、差別も受けていないつもりでした。
 そして大学の時に結婚したい人がいましたが、あまりといえば突然に破れました。その時、愛する人の口から、私は自分が「村の子」だということを突きつけられたのです。はっきりと自分の生まれを知りました。そして私の自殺未遂。貧困の差別や障害者差別等に憤っていた私が、差別の中にいたわけです。それ以来28歳になる今まで結婚していません。
 学生時代の傷が癒えたこの頃、縁談がひとつありました。事前に私の生まれを言ってもらいました。すると相手の方から会う前にお断りのお返事です。写真をお渡しした時点では、会ってみたいという話でしたが。差別するななんて、人には強制できるものではないし、そして差別している人も、そのことを除けば本当に善良で良い人なんですから、差別は悪いと知りつつ差別する側に立ってしまうものなんですね。人間の弱い弱い心と最大多数の大衆の怖さでしょうね。
 現在、私の心が乱れているのは、見合いの断りの返事がショックだったのではありません。結婚にも相手にも夢はないけれど、子どもが欲しいのです。ただ、その子が大きくなった時にも「村の子」の影をひきずるのかと思うと辛くて、あわれです。そのことを考え出したら本当に泣けてきました。結婚もしていないのに、こんなことを書いています。今まで書いたことやその都度感じたことを、話せる人、聞いてくれる人を私はもっていないのです。「窓の皆様」に少し甘えさせて頂きました。つまらない愚痴ですが最後まで読んで下さってありがとう。
 こんなこと両親にも言えないし(余計な心配かけるだけですし)私が「村の子」だと知らない友人にも言えるわけでもないですから、本当にありがとう。「私、村の子です」と言える日と、私が結婚できる日が早く来てほしいと切に願います。匿名でごめんなさい。

 これをきっかけにして、編集者達のあいだにですね、この問題への積極的なとりくみがあって、大谷さんという記者が、本当に素晴らしいはたらきをされたことが、この本の結末には書かれています。ぜひ、これは読んで下さい。女学院の同和委員会も、これをきっと学習してらっしゃると思いますし、またこの本は皆さんの図書館にも備えてあるだろうと思っております。で、この投書をきっかけにして、いろいろな方から、手紙に対する励ましの言葉がずっと、本には連ねてあります。そしてたくさんの方が「心の塩を贈りたい」という文章に対して、応答の文章を送っております。

「今日の窓『心の塩を贈りたい』を読ませて頂きました。そして言葉でいい尽くすことのできない腹立たしさを覚えました。今まで愛を語ってきていながら、部落……そのひとことであっさりと冷めてしまうなんて。でもそんなにあっさりあきらめてしまえるものなら、その男の人は、きっとこの先結ばれたって、苦しいことがあると逃げ出してしまうのではないかって気がします。
 相手のことをよく知りもしない私が、こうやって頭ごなしに決めつけてしまうのはいけないことだと思いますが、一人の人間が一生懸命考えて、一生懸命悩んで、そしてひとりの人を愛しているんです。それなのに、その気持ちを知ろうともせず、逃げてしまう。一度結婚まで考えたのなら、その人とどうしてそれを求めようとしないのか……。現実逃避……。そんなにすぐに変わってしまう愛なら、語らなければいい。そんな人は、その資格を何ももってやしない……。
 手紙を送られた方に、一日も早くすばらしい人が現れてくれますように、お祈りします。どうか、死ぬことなどもう考えないで下さい。」


 また匿名で

「私は二十三歳です。
 二十八歳の匿名さんと同じ境遇なのです。私の周辺では結婚という言葉が飛び交っているのに私にはまったく無縁です。私も女性、いつか花嫁衣装をつけてみたい……。その時は窓へお便りさせて下さいね。窓の心の塩しっかり受けとりました。」


和歌山の方、匿名

「結婚しようとしている人が村の人というだけで、親戚中から反対にあって二年たちました。部落の人はみんな懸命に働いています。部落のどこがいけないんですか、どこが違うんですか。」

京都府の方です。

「部落という言葉を知らずに大きくなりました。両親からも誰からもそれを聞かされたことは全くありませんでした。嫁いで丹後に来て、初めて部落のことを聞かされました。
 不思議に思います。同じ人間なのに、同じ日本人なのに、どうしてそのように差別するのでしょう。
 私の夫は在日韓国人です。別に隠そうとも、恥ずかしいとも思いません。りっぱに働き、りっぱに生きています。そして、何よりも私を愛し、大切にしてくれています。
 いかなる人でも人にはかわりありません。差別して優越感に浸っている人こそ、かわいそうにと同情したくなります。その方達は心が貧しくて、愛することをまだ知らないからでしょう。」

(ここまでで半分。続きます)


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