1976年6月27日 岩国教会週報「先週の説教より」
ヨハネ15:1-5、第一ペテロ2:4-10
(岩国教会牧師12年、健作さん42歳)
閔庚培(ミンギョンべ)氏の『韓国キリスト教史』(澤正彦訳、日本基督教団出版局 1974)の序文にこういう言葉がある。「この国民が後ろを振り向いて寄りかかるところといえば、教会の壁しかないという感じの時期があった。韓国人の強い主体意識に基本的な確信を与えてくれ、その悲劇と共に歩み、十字架のような忍従の道を歩いてくれたのは教会であった」。この言葉は、歴史の中には、隠された「神の民」の流れが脈々と流れているという確信を与えてくれる。富と権力による支配が渦巻いている人の世の底に「主は、人には捨てられたが、神にとっては選ばれた尊い石である」(ペテロ第一2:4)という「神の民」の礎石が生きている。4節と5節は、原始キリスト教の礼拝の姿勢を示しているが、「この主のみもとにきて」(5節)との招きによって礼拝が成り立っていることに注目したい。「民(ラオス)」とは「人々・群衆・民族」といった意味をもつ言葉である。突き詰めれば、その違いがなぜ生まれるのかを問い、その違いが明らかになるような人と人との関わり合いを指している。それが、人間の力や経験の発展としてではなく、「神の」選びと招きによって、「それぞれ生ける石となって、霊の家に築きあげられ」(5節)るところに、歴史に生きる教会の姿がある。
(1976年6月20日 岩国教会説教 岩井健作)
(報告欄より)
共同の祈り「中谷訴訟のために」
礼拝後、教会学校教師会、夕礼拝。
牧師在宅日 29日(火)
祈祷会・聖書研究会 30日(水)
家庭集会 30日(水)
青年会 7月1日(木)
中谷訴訟公判 7月1日(木)
基本方針として「戦責告白」と「教団社会活動基本方針」を確認し、それに基づき活動を行う。特に今年は、第25回西中国教区総会で決議された三つの声明(靖国、韓国、部落)を支持・支援する方向で進むと決め、取り組みの課題、平和聖日献金・懇談会の計画を建てました。


