小磯さんの表紙絵(1979 思い出)

岩井健作著『聖書の風景 ー小磯良平の聖書挿絵』
(新教出版社 2018.3) p.137-139より引用

 小磯の聖書挿絵「復活」について、私にはひとつの思い出がある。

 私が神戸教会に赴任したのは1978年であった。それまでの『神戸教会会報』を見てみると、表紙にはときおり、教会員であった小磯良平のデッサンが載っていた。前任者の児玉浩次郎牧師に尋ねると、頼めば気軽に描いてくださるとの話であった。

 やがて復活節が近づき、会報の委員から、私には第一面に復活についてのメッセージを書いて欲しい、そして「その表紙絵を小磯さんに依頼してください」と言われた。

 小磯に絵を頼むのは初めてだったが、割と軽い気持ちで電話した。

 会報の挿絵を描いて欲しいと伝えたまではよかったが、復活の場面をと頼むと、返事が渋かった。

「画家はテーマを決められますとねー」

 一瞬しまった、と思った私は「いーえ、どんなテーマでも結構です」と言葉を重ねた。

 二、三日して、小磯から電話があった。

「このあいだの絵、できましたから取りに来てください」

 とのことであった。

 訪ねると、手渡された絵は「復活」の場面であった。

 一見して『画集』に収められた聖書の挿絵より素晴らしいと感じた。

(サイト記)『画集』の挿絵とは『聖書の風景 ー小磯良平の聖書挿絵』に掲載されている日本聖書協会の依頼による聖書挿絵(1970年)で下のカラフルなもの。健作さんが手渡された絵とは、このページの「冒頭」の絵(1979年)(実際は鉛筆画に水彩の色がほどこされている、との説明あり)。
 健作さんは二つを比較して1979年版の方を「より素晴らしい」と『聖書の風景』の中では評価していることになる。
 二つを並べてみて、本ページをご覧の皆様にはいかがであろうか。

 聖書の挿絵と構図は同じであったが、崖の上の草木や遠景は省いてしまい、女性たちの顔に驚きの表情がはっきり出ているところにインパクトがあった。

「真白な長い衣を着た若者」が翼を持つ天使として描かれて、両手を広げたその姿には「ここにはおられない」との言葉が強調されているようであった。

 聖書の挿絵では一番右の女性はしゃがみ込んで悲しみを表しているが、『会報』の絵では顔を天使に向けてともに驚いている様子が描かれている。

 原画は柔らかい鉛筆画で、くすんだ黄色の水彩による淡色が施されていた。

 この挿絵は『神戸教会会報』(91号 1979年4月29日)に印刷された。

 筆者は2002年に神戸教会を退任したが、原画は今でも会堂の母子室に掲額されていると思う。

(中略)

 では、小磯の「復活」の挿絵に込められたメッセージは何か。荒井献氏は、読者の関心をガリラヤに登場するイエスに向けるためのマルコの文学的手法について触れているが、この絵のメッセージも「イエスはよみがえってここにはおられない」と空虚な墓が若者によって指し示されているところにある。マグダラのマリヤが手に香油の壺を持って呆然と立っているのは印象深いが、同時にその背筋はしっかりと伸びているところが小磯らしい。

 復活のイエスを可視化して描いた西洋キリスト教絵画とは別な仕方で、そしていかにも何気ない日常風景のような簡潔さでイエスの復活を描き上げたところに、小磯の画家としての個性があり、また絵の特質がある。

ガリラヤのイエス(1979 神戸教會々報 ③)