『国権と良心 – 種谷牧師裁判の軌跡』(種谷牧師裁判を支援する会編、新教出版社 1975)
「教師の友」1975年12月号(日本基督教団出版局)掲載
(牧会18年、岩国教会牧師10年、健作さん42歳)
待たれていた本である。この春ある高校生修養会で「牧師が法を犯して高校生をかくまったのは間違いだと思うが」と真剣なまなざしで質問してきたY君のことが思い出される。「事件の経過と論考が出るはずだから、読んでほしい」とだけ答えた。四百余ページにわたるこの集大成は、素朴な疑問を、問題の広さ深さへと引き入れ、理解と納得を与えさらに自分の信仰的あり方に問いをつきつける迫力をもっているというのが私の読後感である。Y君、ぜひ読んでほしい。
この本は五つの部分から構成される。1は「事件の経過と裁判」。平たく言えば物語「種谷裁判」である。兵庫教区のおばさん牧師魚住氏の人柄と筆が、読者の心を事件全体に結びつけていく。2は「公判の記録」。種谷牧師の意見陳述は、裁判官席で関谷判事をして涙をポロポロこぼさしめたという。種谷氏がその生い立ちによって養われている内面生活の固有さに学ばねばならない。3は弁護士諸氏による「総括」。田原潔、熊野勝之、中平健吉、青木英五郎と、面々の闘いの視点が並ぶ。熊野氏の犯人蔵匿罪そのものに対する批判的論考の鋭さと裁判における被告と判事との人間としての原体験のふれ合いの重要さの指摘(p.207)が心に残った。4は「論説」。種谷牧師自身の陳述と並んでこの部分が第二の柱をなしている。裁判を支えた内面性への指摘(戸村政博)、牧会に関する神学的展開(竹中正夫)、政治思想史的展開(宮田光雄)、国権と宗教の自由についての詳細な憲法論的展開(高柳信一)、国家への教会的自覚からの展開(井上良雄)。高柳論文はこの書の価値を研究的資料として不動なものとしている。5、資料。この種の事件ではジャーナリズムは注意してかからねばならぬことを知らされる。CS教師としては、青年の思想形成における労働の意義、人間関係における約束の重要さ、良心的兵役拒否における国権と良心の問題など、教えられること多き書である。
(岩井健作)


