剣をさやにおさめよ(1975)

1975年3月9日 岩国教会週報「先週説教より」

(岩国教会牧師10年、健作さん41歳)

「剣をさやに納めなさい。父がわたしに下さった杯は、飲むべきではないか」(ヨハネ 18:11)

 ヨハネ福音書の「受難物語」から学びたい。18章1〜11節は「イエスが逮捕される物語」である。これは歴史的事実というより、ヨハネの信仰が前面に出ている。イエスに敵対する逮捕者たちは強力に画枯れているにも関わらず、彼らは「地に倒れた」(詩編27:2の引用)とあるし、他の福音書と違って、イエスの弟子たちは「逃げた」のではなく、イエスが去らせたとある。ここには、イエスが自らの死を引き受けることの中にこそ「父のみこころ」があるというヨハネの信仰の主張が一貫している。そして、その線上にペテロが剣で大祭司の僕の耳を切り落とした物語がくる(この物語は、マルコでは弟子たちの無理解を示すものとして、マタイは剣の力の愚かさを、ルカは救いの時を冷静に待つことを訴えるものとして語られる)。ヨハネは十字架の死へ向かうイエスの決意の足を引っ張るペテロへの戒めとして語っている。「父がわたしに下さった杯」(18:11)というイエスの行く手には重い戦いがある。そのイエスの十字架を無にするような生き方、足の引っ張り方が戒められている。自分が十字架を負わないばかりか、人の世への愛の極みとして負われている十字架をしっかりと見つめない姿が画かれている。剣をもつ勇ましい、だが誤ち多い一人の弟子の姿に自分が重なる時、「剣をさやに納めなさい」という静かなイエスの声が聞こえてくる。

(岩井健作)


(報告欄より)

 サーバー氏(NCC東南アジア兵士のための牧会委員会議長)7日来岩、岩国兵士センターと地域教会について岩井牧師と懇談。


BOX-1. 岩国教会

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