1975年3月2日 岩国教会週報「先週説教より」
(岩国教会牧師10年、健作さん41歳)
むしろ、からだのうちで他よりも弱くみえる肢体(したい)が、かえって必要なので…(第一コリント 12:22)
能力主義体制が社会のすみずみまでを支配している今日の日本では、弱い者は切り捨てられている。弱い者たちは絶望している。身障者、知的障害、寝たきり老人、在日朝鮮人、被差別部落につきまとう暗さはいかばかりであろうか。弱き者と共に生きようとすれば、暗さと絶望を共にせねばならないし、価値観を変えざるを得ない。
パウロは、共に生きるために十字架を前面に押し出し、価値観を変えるためには、むしろ弱くみえる兄弟たちが必要なのだと言っている。私たちが助けようとしている身近な弱き者に、実は私たちが共に生きることの目を開かせられるきっかけを与えられていることを忘れてはならないと思う。イエスは「からだ(共同体=隣人=共に生きる)」としての生を、当時の社会の最も弱き者たちと共に、遂に十字架の死にきわまる生を貫かれた。今日私たちがイエスの弟子であるようにと招かれていることの重みを、何とかしてたどっていきたい。
(岩井健作)
(報告欄)
教区宣教方策協議会(2月23日〜24日)下関にて21教会50名参加。犬飼光博牧師の講演「自らが何かできるという教会の傲慢さが打ち砕かれねばならない。現代の絶望と重荷をうんうん言って負うことで、なお希望を生きる"箱舟"作りをしなければならない。それを避けて宣教はない」。山口信愛教会の林謙次郎長老からは、仁保裁判、中谷裁判支援と荷を負う教会の姿勢と決意が報告されました。
NCC兵士センター黒人兵士を囲む集会(2月24日)約40名、当教会より6名参加。川下における日本人による黒人差別の現実および差別とは何かにつき、2時間半、意見交換がなされました。


